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令和2年(行ケ)第10005号「ガラス板用合紙」事件

名称:「ガラス板用合紙」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:令和2年(行ケ)第10005号 判決日:令和2年11月10日
判決:請求棄却
特許法29条の2
キーワード:先願発明との同一性、引用発明の認定、発明の未完成
判決文:https://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/833/089833_hanrei.pdf
[概要]
 特許法29条の2の判断について、先願発明が未完成発明であることを争ったが、先願発明に係る「発明」は、先願明細書等の記載により、創作された技術内容がその技術分野における通常の知識・経験を持つ者であれば何人でもこれを反覆実施してその目的とする技術効果をあげることができる程度に構成されたものであるとの判断が示され、先願発明は未完成とはいえないと判断されて、拒絶審決が維持された事例。
[事件の経緯]
 原告が、特許出願(特願2014-554542号)に係る拒絶査定不服審判(不服2018-17153号)を請求したところ、特許庁(被告)が、請求不成立の拒絶審決をしたため、原告は、その取消しを求めた。
 知財高裁は、原告の請求を棄却した。
[本願発明1]
【請求項1】
 木材パルプを原料とするガラス板用合紙であって、紙中に含まれるシリコーンの量が、紙の絶乾質量に対して0.5ppm以下であるガラス板用合紙。
[審決]
 本願発明1と先願発明との一致点及び相違点
 一致点:パルプを原料とするガラス板用合紙
 相違点1:本願発明1の「ガラス板用合紙」のパルプが「木材パルプ」であるのに対し、先願発明のガラス合紙のパルプが「木材パルプ」であるか特定されていない点。
 相違点2:本願発明1が「紙中に含まれるシリコーンの量が、紙の絶乾質量に対して0.5ppm以下」であるのに対し、先願発明は「有機ケイ素化合物の含有量は、より好ましくは1ppm以下であり、少ない程、好ましく、有機ケイ素化合物の含有量の下限には、限定は無いが、ガラス合紙から有機ケイ素化合物を完全に取り除くのは、困難であり、有機ケイ素化合物の含有量が極端に少ないガラス合紙は、製造に手間やコストがかかるため、有機ケイ素化合物の含有量は、0.05ppm以上であるのが好まし」いとされている点。
[取消事由]
 先願発明に基づく特許法29条の2の判断の誤り
 (1)先願発明が発明として未完成であることの看過(主位的主張)
 (2)先願発明の認定の誤り(予備的主張1)
 (3)相違点2の判断の誤り(予備的主張2)
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋、下線)
『(2) 先願発明の認定
 ・・・(略)・・・
 よって、甲1明細書には、「ガラス合紙からガラス板に転写された有機ケイ素化合物が、配線等の不良の大きな原因となることから、有機ケイ素化合物の含有量」が小さい「ガラス合紙とすることにより、有機ケイ素化合物に起因する配線の不良発生等を低減させることができ」ることが記載されている。
 エ 甲1明細書には、その発明に係るガラス合紙の有機ケイ素化合物の含有量について、これを「3ppm以下」とすることにより、有機ケイ素化合物に起因する配線の不良発生等を低減させることができるとした上、「より好ましくは1ppm以下」で「少ない程、好まし」く、「下限には、限定は無」いが、「ガラス合紙から有機ケイ素化合物を完全に取り除くのは、困難であり、有機ケイ素化合物の含有量が極端に少ないガラス合紙は、製造に手間やコストがかかる」ため、「0.05ppm以上であるのが好ましい」と記載されている(【0025】、【0026】、【0028】)。
 よって、甲1明細書には、「有機ケイ素化合物の含有量が3ppm以下のガラス合紙とすることにより、有機ケイ素化合物に起因する配線の不良発生等を低減させることができ、有機ケイ素化合物の含有量は、より好ましくは1ppm以下であり、少ない程、好ましく、有機ケイ素化合物の含有量の下限には限定は無いが、ガラス合紙から有機ケイ素化合物を完全に取り除くのは困難であり、有機ケイ素化合物の含有量が極端に少ないガラス合紙は、製造に手間やコストがかかるため、有機ケイ素化合物の含有量は、0.05ppm以上であるのが好まし」いとの記載がある。
 ・・・(略)・・・
 カ 以上によれば、甲1明細書に記載された発明は、本件審決の認定したとおりの先願発明(前記第2の3(2)ア)であると認められる。
(3)本願願発明1と先願発明との対比
 ・・・(略)・・・
 相違点1は、本願発明1の「ガラス板用合紙」のパルプが「木材パルプ」であるのに対し、先願発明のガラス合紙のパルプが「木材パルプ」であるか特定されていない点である。紙の原料が一般的にパルプであることは周知であり、・・・(略)・・・、先願発明のガラス合紙は木材パルプを原料とし得ると理解されることからすれば、相違点1は実質的な相違点ではない。
 また、相違点2は、本願発明1が「紙中に含まれるシリコーンの量が、紙の絶乾質量に対して0.5ppm以下」であるのに対し、先願発明は「有機ケイ素化合物の含有量は、より好ましくは1ppm以下であり、少ない程、好ましく、有機ケイ素化合物の含有量の下限には、限定は無いが、ガラス合紙から有機ケイ素化合物を完全に取り除くのは、困難であり、有機ケイ素化合物の含有量が極端に少ないガラス合紙は、製造に手間やコストがかかるため、有機ケイ素化合物の含有量は、0.05ppm以上であるのが好まし」いとされている点であるところ、両者は、0.05ppm以上0.5ppm以下の範囲で重なることからすれば、相違点2は実質的な相違点ではない。
 したがって、本願発明1と先願発明は同一である。
(4)原告の主位的主張(先願発明が発明として未完成であることの看過)について
 ・・・(略)・・・
 このような趣旨からすれば、同条にいう先願明細書等に記載された「発明」とは、先願明細書等に記載されている事項及び記載されているに等しい事項から把握される発明をいい、記載されているに等しい事項とは、出願時における技術常識を参酌することにより、記載されている事項から導き出せるものをいうものと解される。
 したがって、特に先願明細書等に記載がなくても、先願発明を理解するに当たって、当業者の有する技術常識を参酌して先願の発明を認定することができる一方、抽象的であり、あるいは当業者の有する技術常識を参酌してもなお技術内容の開示が不十分であるような発明は、ここでいう「発明」には該当せず、同条の定める後願を排除する効果を有しない。また、創作された技術内容がその技術分野における通常の知識・経験を持つ者であれば何人でもこれを反覆実施してその目的とする技術効果をあげることができる程度に構成されていないものは、「発明」としては未完成であり、特許法29条の2にいう「発明」に該当しないものというべきである
 ・・・(略)・・・
 エ 以上によれば、ガラス合紙の、シリコーンのポリジメチルシロキサンである有機ケイ素化合物の含有量を3ppm以下、好ましくは1ppm以下で、0.05ppm以上とした先願発明は、ガラス合紙からガラス板に転写された有機ケイ素化合物に起因する配線の不良等を大幅に低減でき、特にポリジメチルシロキサンがガラス板に転写され、より配線や電極の不良等が発生し易くなることを抑制できるものであって、先願発明の目的とする効果を奏するものであること、そのようなガラス合紙は、ポリジメチルシロキサンを含有する消泡剤を使用しないで製造したパルプを原料として用い、ガラス合紙の製造工程において、パルプの洗浄、紙のシャワー洗浄、水槽を用いる洗浄や、これらを2種以上行う方法により製造できること、以上のことが理解できる。
 ・・・(略)・・・
 よって、先願発明は、特許法29条の2にいう「発明」に該当し、未完成とはいえないから、同条により、これと同一の後願を排除する効果を有する。』
『(5)原告告の予備的主張1(先願発明の認定の誤り)について
 原告は、甲1明細書の実施例には「有機ケイ素化合物」がポリジメチルシロキサンであるとは特定されておらず、そもそも「有機ケイ素化合物」が何であるかすら全く不明であるから、甲1明細書のポリジメチルシロキサンに関する記載は形式的なものにすぎず、実質的に先願発明が開示されていないとして、甲1明細書から発明を認定することはできないと主張する。
 しかしながら、甲1明細書には、配線の不良発生等の原因となる有機ケイ素化合物に、シリコーンのポリジメチルシロキサンが含まれることが記載されており(【0024】)、実施例1及び2の有機ケイ素化合物がポリジメチルシロキサンを意味すると理解するのが自然であることは、前記(4)ウのとおりである。
 よって、原告の主張は理由がない。
(6)原告の予備的主張2(相違点2の判断の誤り)について
 ア 原告は、相違点2のうち、有機ケイ素化合物の含有量の上限値が1ppmであるかのように認定する部分は誤りであり、当該部分は、「ポリジメチルシロキサンの含有量は3ppm以下であり、より好ましくは1ppm以下であり、」と認定すべきであると主張するが、先願発明は、甲1明細書の記載によっても、本件審決が認定したとおりのものとして認定できることは前記(2)のとおりであり、これと異なる旨をいう原告の主張は理由がない。
 ・・・(略)・・・
 そこで判断するに、本願発明1のガラス合紙に含まれるシリコーンの量の上限値は「0.5ppm」であり、先願発明のガラス合紙に含まれるポリジメチルシロキサンの量の上限値は「好ましくは1ppm以下」であるという違いはあるものの、本願発明1の「0.5ppm以下」との範囲と、「好ましくは1ppm以下」であり、「0.05ppm以上」であるのが好ましいとされる先願発明の範囲とは重複するから、本願発明1のガラス合紙に含まれ得るシリコーン量の方が先願発明のガラス合紙に含まれ得るポリジメチルシロキサンの量よりも少ないとはいえない。
 ・・・(略)・・・
 さらに、本件明細書の比較例1(シリコーン含有量2.0ppm)と甲1明細書の実施例1(有機ケイ素化合物含有量2ppm)の輸送条件や断線有無確認の条件が異なることは、前記(4)において検討したとおりであって、両者の結果は直接比較できるものではない。本件明細書の比較例1が回路断線の不都合を引き起こし、実施例1(シリコーン含量0.01ppm未満)及び実施例2(同0.4ppm)において回路断線等の不都合を引き起こさなかったとしても、このことは、ガラス合紙に含まれるシリコーンの含有量が少なければ、ガラス合紙がガラス板と接触する際にガラス合紙からガラス板に転写するシリコーンの量をより低減することができ、それにより、ガラス板表面のシリコーンによる汚染をより抑制し、シリコーンに起因するガラス板上での回路断線等の不都合をより抑制するという効果を説明したにすぎない。そして、当該効果が甲1明細書から理解できる事項であることは前記のとおりである。
 以上によれば、本願発明1と先願発明は実質的に同一であり、原告の主張は理由がない。
 ウ 原告は、甲1明細書には、ポリジメチルシロキサンの含有量0.05ppm程度のガラス合紙が実質的に開示されていないから、甲1明細書【0028】の「0.05ppm以上であるのが好ましい」という記載に基づいて「先願発明のガラス合紙は、有機ケイ素化合物であるシリコーンの含有量が0.5ppmより微量の0.05ppm程度であるガラス合紙を含む」と認定することはできず、また、【0027】の「より好ましくは1ppm以下」の記載が0.5ppm以下を意味するものと認定することも、字義的に無理があるとも主張する。
 しかしながら、【0028】には、有機ケイ素化合物の含有量については、少ない程好ましいものの、その含有量が極端に少ないガラス合紙は製造に手間やコストがかかることから、0.05ppm以上であるのが好ましい旨の記載がある。そうすると、有機ケイ素化合物の含有量がその程度であるガラス合紙が甲1明細書に記載された方法よって製造することができると理解できるから、ポリジメチルシロキサンの含有量が0.05ppm程度のガラス合紙も、甲1明細書に実質的に記載されているものといえる。ポリジメチルシロキサンの含有量が0.05ppm程度のガラス合紙の記載が実施例にないことは、このように認定することの妨げにならない。
 また、「1ppm以下」の数値範囲は「0.5ppm以下」も包含するから、「より好ましくは1ppm以下」の記載が、0.5ppm以下を意味するものと認定することに字義的に無理があるともいえない。
 よって、原告の主張は理由がない。』
[コメント]
 本件判決では、特許法29条の2の先願発明の基準が示され、未完成発明については、先願発明に該当しないことが示されている。先願発明の認定について、平成10年(行ケ)第401号の「即席冷凍麺類用穀粉」事件と同様に、特許法2条1項に記載の「発明」として一般的に説明されている概念が説明されている。「即席冷凍麺類用穀粉」事件では、用途発明についての認定を争って、先願発明は未完成であることが認定されている。本件判決では、先願発明の開示のない数値範囲について争い、先願発明を認定している点が興味深い。先願発明の認定にあたっては、発明の技術分野、対比される発明特定事項等が考慮されて、個別具体的に、事案毎に判断されるものと思われる。
 本件判決では、本願発明に係るシリコーンの量が「0.5ppm以下」の範囲については、先願発明に含まれることが判断されているが、先願発明では「0.05ppm以上」であるのが好ましいとの記載がある。一方、本願発明の実施例1では「<0.01ppm」の場合が記載されている。本件判決の判断事項ではないが、仮に、本願発明の請求項1のシリコーン量が「<0.01ppm」に補正されていた場合には、先願発明に開示のシリコーンの量の数値とは差別化できているように思われる。但し、本願発明の実施例1では、パルプの製造時に非シリコーン系消泡剤を用いており、このことは先願明細書に開示されており、先願発明として開示しているとも判断できる。判断が分かれるところであると思われるが、先願明細書の開示からすれば、仮に、本願発明の請求項1のシリコーン量が「<0.01ppm」に補正されていた場合にも、本願発明は先願発明に含まれると判断されるのではないかと考える。

以上
(担当弁理士:光吉 利之)

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