IP case studies判例研究

平成30年(行ケ)第10145号「海生生物の付着防止方法およびそれに用いる付着防止剤」事件

名称:「海生生物の付着防止方法およびそれに用いる付着防止剤」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成30年(行ケ)第10145号 判決日:令和元年7月18日
判決:審決取消
特許法29条2項
キーワード:進歩性、容易想到性
判決文: http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/826/088826_hanrei.pdf
[概要]
甲1ないし3、5に接した当業者は、過酸化水素と有効塩素剤とを組み合わせて使用する甲1発明には、有効塩素剤の添加により有害なトリハロメタンが生成するという課題があることを認識し、この課題を解決することを目的として、甲1発明における有効塩素剤を、甲2記載の二酸化塩素に置換することを試みる動機付けがあるものと認められるから、相違点1に係る本件発明1の構成を容易に想到することができたものと認められるとし、進歩性を有するとした審決を取り消した事例。
[事件の経緯]
被告は、特許第5879596号の特許権者である。
原告が、当該特許の請求項1~4に係る発明についての特許を無効とする無効審判(無効2017-800145号)を請求したところ、特許庁が、請求不成立(特許維持)の審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を認容し、審決を取り消した。
[本件発明1]
【請求項1】
海水冷却水系の海水中に、二酸化塩素と過酸化水素とをこの順もしくは逆順でまたは同時に添加して、前記二酸化塩素と過酸化水素とを海水中に共存させることにより海水冷却水系への海生生物の付着を防止することを特徴とする海生生物の付着防止方法。
[甲1発明と本件発明1との一致点及び相違点]
(一致点)
「海水冷却系の海水中に、過酸化水素を添加して、海水冷却水系への海生生物の付着を防止する海生生物の付着防止方法」である点。
(相違点1)
本件発明1は、海水中にさらに「二酸化塩素」を「この順もしくは逆順でまたは同時に添加して、前記二酸化塩素と過酸化水素とを海水中に共存させ」ているのに対して、甲1発明は、海水中にさらに「有効塩素発生剤」を「同時または交互に注入する」点。
[審決の概要]
甲1発明の有効塩素発生剤は、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させることを目的とする化合物である。
甲1ないし7、9ないし18は、二酸化塩素が、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させる化合物であることを開示するものでなく、このようなことが技術常識であるといえないから、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させることを目的とする甲1発明の有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換する動機付けがあるといえない。
[主な取消事由]
甲1を主引用例とする本件発明1の進歩性の判断の誤り(取消事由1-1)
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋)
相違点1の容易想到性の有無について
『ア(ア)前記(2)イ認定のとおり、甲1には、①従来、海水動物の付着抑制剤として用いられてきた有効塩素発生剤(塩素、次亜塩素酸塩等)、有機スズ化合物、有機イオン化合物、第4級アンモニウム塩等には、残留毒性、蓄積毒性があり、広く海水動物の生態環境を破壊するものと指摘され、これらの薬剤に代わる安全な新しい薬剤の開発や、これらの薬剤の使用量を効果的に減少させる方法の開発が強く要望されていたこと、②「本発明」(甲1に記載された発明)は、それ自体低毒性でかつ蓄積毒性、残留毒性のほとんどない過酸化水素を、従来の抑制剤と組み合わせて使用することによって、相乗効果により、従来の抑制剤の使用濃度を実質的に低下せしめ、環境問題の見地からこれらの薬剤を有利に使用することを可能ならしめたという効果を奏することの開示があることが認められる。
一方で、前記(4)ア(エ)の甲5の記載事項から、甲1記載の有効塩素発生剤と過酸化水素を組み合わせた海水動物の付着抑制方法(甲1発明)には、塩素剤である有効塩素発生剤の添加により有害なトリハロメタン類が生成するという課題があり、その生成防止のために塩素剤の添加量を0.07mg/l未満に減少させた場合、塩素剤の海生付着生物に対する付着及び成長抑制効果を期待できず、また、過酸化水素剤については、特に過酸化水素剤の分解酵素を多く有しているムラサキイガイ等の二枚貝類に対しては、2mg/l以上使用しないと抑制効果が少ないため、海水使用量の大きな冷却水系統においては、その使用量が膨大な量になり、経済的ではないという課題があることを理解できる。
(イ) 甲1には、二酸化塩素に関する記載はなく、過酸化水素と二酸化塩素を組み合わせて使用することについての記載及び示唆はない。
しかるところ、本件優先日当時、二酸化塩素は、塩素含有の化合物であるが、水への溶解度は塩素よりも高く、酸化力が塩素よりも強い上、塩素剤の添加により生成する有害なトリハロメタンが発生しない、海生生物の付着防止剤として知られていたことは、前記(4)イ認定のとおりである。
そして、前記(3)の甲2の記載事項によれば、甲2には、①甲2記載の水中生物付着防止方法は、塩素の代わりに、塩素の2.6倍の有効塩素量を有し、水溶性の高い二酸化塩素又は二酸化塩素発生剤を用いることにより、薬品使用量の減少を図り、ひいては、毒性のあるTHM(トリハロメタン)の生成を防止しつつ、海洋中などの水中における生物付着を防止すること(前記(3)ウ)、②二酸化塩素は、実施例1の結果(表2)が示すように、有効塩素発生剤である次亜塩素酸ナトリウムと比較し少量で効果があり、更にトリハロメタンの発生がなく、環境汚染がない、反応生成物は海水中に存在するイオンのみで構成され、残留毒性、蓄積毒性がないという効果を奏すること(前記(3)エ及びオ)の開示があることが認められる。
加えて、前記(4)ア(ア)の甲3の記載事項によれば、甲3には、甲3記載の水路に付着する生物の付着防止又は除去方法は、低濃度の二酸化塩素水溶液を連続的に水路に注入することによって、冷却系水路の内壁に付着するムサキイガイ等の生物を効果的に付着防止し、又は除去することが可能であり、また、二酸化塩素は有害な有機塩素化合物を形成しないことから、海や河川を汚染することもないという効果を奏することの開示があることが認められる。
(ウ) 前記(ア)及び(イ)によれば、甲1ないし3、5に接した当業者は、過酸化水素と有効塩素剤とを組み合わせて使用する甲1発明には、有効塩素剤の添加により有害なトリハロメタンが生成するという課題があることを認識し、この課題を解決するとともに、使用する薬剤の濃度を実質的に低下せしめることを目的として、甲1発明における有効塩素剤を、トリハロメタンを生成せず、有効塩素発生剤である次亜塩素酸ナトリウムよりも少量で付着抑制効果を備える海生生物の付着防止剤である甲2記載の二酸化塩素に置換することを試みる動機付けがあるものと認められるから、甲1及び甲2、3、5に基づいて、冷却用海水路の海水中に「二酸化塩素と過酸化水素とをこの順もしくは逆順でまたは同時に添加して、前記二酸化塩素と過酸化水素とを海水中に共存させる」構成(相違点1に係る本件発明1の構成)を容易に想到することができたものと認められる。』
『イ これに対し被告らは、①甲1記載の有効塩素発生剤は、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させる化合物であるから、甲1発明における有効塩素発生剤を、過酸化水素と反応しても一重項酸素を発生しない二酸化塩素に置換する動機付けはない、②二酸化塩素は、不安定かつ酸化力の強い化合物であるため、本件優先日当時、過酸化水素と組み合わせた場合、両者が反応して消費され、共存できないと考えられており、また、両者の反応により二酸化塩素は、海生生物の付着防止効果が劣る亜塩素酸イオンとなるので、二酸化塩素を単独で使用した方が、二酸化塩素と過酸化水素を併用するよりも海生生物の付着防止効果は高いことからすると、当業者においては、過酸化水素に二酸化塩素を組み合わせることについての動機付けがなく、むしろ阻害要因がある旨主張する。
しかしながら、上記①の点については、甲1には、過酸化水素と有効塩素発生剤との組み合わせについて、「特に有効塩素との組み合わせの場合には、次式に示す酸化-還元反応によって一重項の酸素(OI)が発生して相乗的に抑制効果が高まるものと考えられる。H2O2+ClO-→H2O+C1-+OI」(前記(2)ア(ウ))との記載があるが、一重項酸素の発生により「相乗的に抑制効果が高まるものと考えられる。」と推論しているに過ぎず、一重項酸素による付着抑制効果の有無及びその程度を実証的なデータ等により確認したものではない。
また、甲1には、過酸化水素と有効塩素発生剤との併用以外にも、過酸化水素とヒドラジンとを併用した「実施例3」として、過酸化水素とヒドラジンとの併用の結果、過酸化水素と有効塩素発生剤との併用の結果と同様の抑制効果が得られたことの記載があり(前記(2)ア(オ))、過酸化水素とヒドラジンとの併用によって一重項酸素が発生することは想定できないことに照らすと、二酸化塩素が過酸化水素との併用により一重項酸素を発生しないとしても、そのことから直ちに甲1発明における有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換する動機付けを否定することはできない。
次に、上記②の点については、二酸化塩素は、不安定かつ酸化力の強い化合物であるため、本件優先日当時、過酸化水素と組み合わせた場合において、両者が反応して消費され、およそ共存できないと考えられていたことを具体的に裏付ける証拠はない。もっとも、甲3には、「二酸化塩素は、極めて不安定な化学物質であるため、その貯蔵、輸送は非常に困難であるが、このように二酸化塩素発生器を用いた場合には、現場での二酸化塩素の製造が可能であり、取り扱いが非常に簡単である。」(【0018】)との記載があるが、この記載から、海水中で、二酸化塩素と過酸化水素を併用した場合、両者が反応して消費され、およそ共存できないと読み取ることはできない。また、本件明細書の【0010】には、「二酸化塩素と過酸化水素との併用は、塩素剤と過酸化水素との併用と同様に酸化還元反応により両薬剤が消費され、水系において安定に共存できないという技術常識が存在していたためと考えられる。」、「実際に本発明者らが試験したところによると、…当業者であれば、次亜塩素酸ナトリウムより酸化還元電位が高い二酸化塩素は過酸化水素と安定に共存できるはずがないと考えるのが自然である。」、【0012】には、「…その結果、これまで共存が不可能と考えられてきた二酸化塩素が海水中で過酸化水素剤と準安定的に共存できることを意外にも見出し…」との記載があるが、当業者は、本件優先日前に本件出願後に公開された本件明細書の記載に接することができないのみならず、酸化還元電位については、「一方の系の標準酸化還元電位が、他方の系のそれより高い(正である)場合、前者の方がより強い酸化剤となり、前者が還元され、後者が酸化される方向に進みうる。」こと、「酸化還元電位によって予言できるのは反応方向であり、反応速度ではない」ことは、技術常識であること(「化学大辞典3」縮刷版904頁・共立出版2003年)に照らすと、酸化還元電位から反応速度まで予測できるものとはいえないから、本件明細書の上記記載をもって、海水中で、二酸化塩素と過酸化水素を併用した場合、両者が反応して消費され、およそ共存できないということはできない。したがって、被告らの上記主張は理由がない。』
[コメント]
審決では、甲1発明の有効塩素発生剤が、過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させることを目的とする化合物である、と認定し、これを前提として相違点1に係る容易想到性を判断した。これに対して、裁判所は、甲1は、一重項酸素の発生により「相乗的に抑制効果が高まるものと考えられる。」と推論しているに過ぎず、一重項酸素による付着抑制効果の有無及びその程度を実証的なデータ等により確認したものではないし、一重項酸素が発生することは想定できない実施例も記載されていることから、甲1発明における有効塩素発生剤を二酸化塩素に置換する動機付けを否定することはできない、とした。
甲1発明の有効塩素発生剤が過酸化水素との酸化還元反応によって一重項酸素を発生させることを目的とする化合物である、との認定を覆すような実施例が存在したことが、審決取消の決め手になったと思われる。
進歩性が否定された場合、引用文献中に進歩性否定の論理に矛盾するような実施例が存在するかを確認することは必ず行いたい事項と考える。
(担当弁理士:奥田 茂樹)

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