IP case studies判例研究

平成30年(行ケ)第10122号「水中音響測位システム」事件

名称:「水中音響測位システム」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成30年(行ケ)第10122号 判決日:平成31年4月22日
判決:請求認容
特許法17条の2第3項、特許法36条6項1号
キーワード:新規事項の追加、新たな技術的事項の導入、サポート要件
判決文:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/623/088623_hanrei.pdf
[概要]
本件発明の受信構成を表現するために、本件当初明細書の解決しようとする課題に記載されている先願システムで使用された「一斉に」との語を、先願システムと同様の意味を有するものとして構成Dに追加することは、本件当初明細書に記載された事項との関係において、新たな技術的事項を何ら導入しないと判断されたが、構成Eの「受信次第直ちに」との文言は、船上で位置決め演算を行う場合を指すと解することはできないから、構成Eの「直ちに」との文言を追加する本件補正は、特許法17条の2第3項に規定する要件に適合するとした審決を取り消した事例。
[事件の経緯]
被告は、特許第5769119号の特許権者である。
原告が、当該特許の請求項1~2に係る発明についての特許を無効とする無効審判(無効2017-800130号)を請求したところ、特許庁が、請求不成立(特許維持)の審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を認容し、審決を取り消した。
[本件発明1](本件補正後。A~Hの符号は、審判合議体が付したもの)
【請求項1】
A 陸上におけるGPS観測データを基準としたGPSを備えている船上局から送信した音響信号を海底に設置された複数の海底局でそれぞれ受信し、それぞれの海底局から前記音響信号を前記船上局へ送信することによって、前記海底局の位置データの取得密度を向上して収集することができる水中音響測位システムにおいて、
B 前記船上局から各海底局に個別に割り当てられるIDコードおよび測距信号からなる音響信号をそれぞれの前記海底局に対して互いに混信しない最低の時間差をもって送信する船上局送信部と、
C 前記船上局送信部からの音響信号をそれぞれ受信するとともに、受信した前記音響信号中の前記IDコードが自局に割り当てられたものである場合にのみ、前記全ての海底局に予め決められた同じIDコードであって海上保安庁が設置した既存の海底局において用いられるM系列コードを、受信した前記音響信号中の測距信号に付し、前記船上局から送信した前記音響信号が届いた順に直ちに返信信号を送信する海底局送受信部と、
D 前記それぞれの海底局送受信部から届いた順に直ちに返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部と、
E 前記一つの船上局受信部において、前記各返信信号およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を受信次第直ちに行うことができるデータ処理装置と、
F から少なくとも構成されていることを特徴とする水中音響測位システム。
[主な取消事由]
新規事項追加の判断の誤り(取消事由1)
サポート要件適合性の判断の誤り(取消事由2)
[原告主張の取消事由]
『本件当初明細書等は、特許法施行規則24条及び24条の4の各規定、並びにこれらの規定が引用する様式第29及び第29の2に則して作成されているはずであるから、用語の解釈に際しても、これらの規定を踏まえなければならない。そして、様式第29の備考8及び様式第29の2の備考9は、「用語は、その有する普通の意味で使用し、かつ、明細書及び特許請求の範囲全体を通じて統一して使用する。ただし、特定の意味で使用しようとする場合において、その意味を定義して使用するときは、この限りでない。」とそれぞれ規定している。
そうすると、構成Dの「一斉に」については、これを「その有する普通の意味」である「そろって。同時に。」と解釈することが法的に当然の帰結である。他方、本件当初明細書等には、構成Dの「一斉に」を「特定の意味で使用しようとする」ための定義が一切記載されていないから、「一斉に」を「そろって。同時に。」と異なる意味に解する理由は存在しない。』
[裁判所の判断]
取消事由1((新規事項追加の判断の誤り)について
(1)構成Dの「一斉に」について
『イ 本件当初明細書等の記載について
(ア) 上記1(1)において認定したとおり、本件補正前の特許請求の範囲には「一斉に」との文言は使用されていないし、その余の文言を斟酌しても、一斉受信構成と解し得る構成が記載されていると認めることはできない。
(イ) 次に、上記1(2)において認定したとおり、本件当初明細書の段落【0004】、【0009】、【0010】及び【0019】に「一斉に」との文言が使用されているところ、これらはいずれも特願2013-102097号に係る水中音響測位システム(以下「先願システム」という。)に関する記載である。そこで、先願システムにおいて用いられている「一斉に」の語の意味について検討する。
a 先願システムが解決しようとする課題及びこれを解決するための手段は、本件当初明細書の段落【0004】、【0006】、【0007】及び【0010】の記載によれば、次のとおりと認めることができる。すなわち、従来の水中音響測位システムにおいては、船上局から海底局の1つに向けて音響信号を送信し、海底局がこれに応答して送信された応答信号が船上局に到達し受信された後に、他の海底局に対して同様の動作を順次行うとの手順を採用していたため、船上局と海底局の間の音響信号の送受信に時間がかかる(どの時点でみても、船上局はいずれか1つの海底局との間でしか音響信号の送受信を行わないため、全体の測距時間は、最低でも各海底局に対する測距時間を合計した時間となる。)との課題があった。そこで、先願システムは、当該課題を解決するための手段として、船上局からの音響信号を各海底局に一斉に送信し、各海底局からの音響信号を船上局で一斉に受信する構成を採用した。
そして、「一斉に」の語は「そろって。同時に。」との意味を有すること(甲1)に鑑みると、先願システムは、複数の海底局に対して一斉に、すなわち、同時に測距を行うとの構成を採用したことにより、1つの海底局に対する測距時間を他の海底局に対する測距時間としても利用可能となり、従来の水中音響測位システムと比較して全体の測距時間が短縮するという効果を奏するものと認められる。』
『 (ウ) 本件当初明細書に記載されている本件発明の実施の形態についてみると、・・・(略)・・・そうすると、当該実施例は、船上局において、複数の海底局からの応答信号を「船上局と各海底局との位置関係次第では船上局での受信が同時にされる程度の時間差の範囲内で」受信する態様を開示していると認められるから、上記(イ)において説示した「一斉に」の語の意味に照らせば、当該実施例が開示する態様は、船上局において、複数の海底局からの応答信号を「一斉に」受信するものといえる。
『ウ 以上によれば、本件当初明細書に記載されている本件発明の実施の形態は、一斉受信構成、すなわち、「それぞれの海底局送受信部から返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部」を備えていると認められる。』
『そして、この一斉受信構成を表現するために、先願システムで使用された「一斉に」との語を、先願システムと同様の意味を有するものとして構成Dに追加することは、本件当初明細書に記載された事項との関係において、新たな技術的事項を何ら導入しないものというべきである。』
(2) 構成Eの「直ちに」について
『イ 本件当初明細書等の記載について
(ア) 上記1(1)において認定したとおり、本件補正前の特許請求の範囲には「直ちに」との文言は使用されていないし、その余の文言を斟酌しても位置決め演算時期構成と解し得る構成が記載されていると認めることはできない。
(イ) また、上記1(2)において認定したとおり、本件当初明細書の段落【0008】、【0009】、【0013】、【0025】、【0030】、【0032】、【0035】、【0036】及び【0040】等には、先願システム及び本件発明の実施の形態において、海底局の位置を決めるための演算(以下「位置決め演算」という。)は、海底局からの音響信号(又はデータ)及びGPSからの位置信号に対して行われるものであって、船上局又は地上において実行される(特に段落【0025】、【0040】)ことが開示されている。しかし、本件当初明細書には、位置決め演算の時期を限定することに関する記載は見当たらない。
(ウ) この点に関し、審決は、データ処理装置による位置決め演算には、船上で行う場合と、船上で受信したデータを地上に持ち帰って行う場合とがあるところ、後者の場合にはそれなりの時間がかかるから、技術常識をわきまえた当業者であれば、構成Eの「受信次第直ちに」とは、船上で演算を行う場合を指すと理解すると認められると判断した。
しかし、位置決め演算を船上で行うか地上で行うかは、位置決め演算を実行する場所に関する事柄であって、位置決め演算を実行する時期とは直接関係がない。そして、位置決め演算を船上で行う場合には、海底局及びGPSの信号を受信した後、観測船が帰港するまでの間で、その実行時期を自由に決めることができるにもかかわらず、位置決め演算を「受信次第直ちに」実行しなければならないような特段の事情や、本件発明の実施の形態において、当該演算が「受信次第直ちに」実行されていることをうかがわせる事情等は、本件当初明細書に何ら記載されていない。
また、本件当初発明では、構成eに「前記船上局受信部において、…前記海底局の位置を決める演算を行うデータ処理装置と、」と、位置決め演算を船上で行うことが特定されていたのであるから、本件補正によって追加された「受信次第直ちに」との文言を、位置決め演算を船上で行うことと解すると、当初明確な文言によって特定されていた事項を、本来の意味と異なる意味を有する文言により特定し直すことになり、明らかに不自然である。
したがって、「受信次第直ちに」との文言を、船上で位置決め演算を行う場合を指すと解することはできない。
(エ) よって、本件当初明細書に、位置決め演算時期構成が記載されていると認めることはできない。
ウ 以上検討したところによれば、本件当初明細書等に位置決め演算時期構成が記載されていると認めることができないから、構成Eに位置決め演算を「受信次第直ちに」行うとの限定を追加する本件補正は、本件当初明細書に記載された事項との関係において、新たな技術的事項を導入するものというべきである。
したがって、この点についての審決の判断には誤りがあり、その誤りは結論に影響を及ぼすものである。』
取消事由2(サポート要件適合性の判断の誤り)について
『原告は、構成Dの「一斉に」及び構成Eの「直ちに」は、いずれも本件明細書の発明の詳細な説明に記載された事項でないと主張する。
しかし、上記2(2)において認定したとおり、本件補正後の本件明細書の段落【0013】には、「前記それぞれの海底局送受信部から届いた順に直ちに返信された各返信信号を一斉に受信する一つの船上局受信部」との記載及び「前記一つの船上局受信部において、前記各返信信号およびGPSからの位置信号を基にして、前記海底局送受信部の位置を決めるための演算を受信次第直ちに行うことができるデータ処理装置」との記載があるところ、これらの記載はそれぞれ構成Dの「一斉に」及び構成Eの「直ちに」の各特定事項に相当するものというべきである。
したがって、本件発明は、本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものと認められるから、本件特許はサポート要件に適合する。』
[コメント]
審査基準でも、「2.1 請求項の記載が明確である場合」として、「審査官は、請求項の記載どおりに請求項に係る発明を認定する。また、審査官は、請求項の用語の意味を、その用語が有する通常の意味と解釈する。ただし、請求項に記載されている用語の意味内容が明細書又は図面において定義又は説明されている場合は、審査官は、その定義又は説明を考慮して、その用語を解釈する。」とされている(「第III部 第2章 第3節 新規性・進歩性の審査の進め方」の「2.1 請求項の記載が明確である場合」)。
「一斉に」との用語は、明確であると思われるが、どの程度厳密に「一斉に」であるのか、つまり、どの程度厳密にそろっているか(同時であるか)については、解釈の余地があると考える。そのため、本件のように明細書の記載を参酌することは許されると考える。
本件明細書では、本発明の説明部分には、「一斉に」の文言が一カ所も使用されておらず、先願システムの説明部分においてのみ使用されていた。裁判所は、本発明の受信構成を表現するために、本件当初明細書の解決しようとする課題に記載されている先願システムで使用された「一斉に」との語を、先願システムと同様の意味を有する、とした。審査基準では、「明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識を考慮して請求項に記載されている用語の意義を解釈する。」とされているところ、本発明の説明部分のみならず、それ以外の明細書全体から用語の意義を解釈した本判決は妥当と考える。
(担当弁理士:奥田 茂樹)

平成30年(行ケ)第10122号「水中音響測位システム」事件

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