IP case studies判例研究

平成23年(行ケ)10383号 「ダイアフラム弁」事件

名称:「ダイアフラム弁」事件
特許審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成23年(行ケ)10383号 判決日:平成24年10月10日
判決:請求認容(審決取消)
特許法29条2項,平成18年改正前の同法17条の2第3項
キーワード:新たな技術的事項,技術用語の一般的意味及び技術常識,明細書の記載,出願経過
[概要]
「ダイアフラム弁」に係る特許出願(特願2004-358675)の補正後の請求項1乃至3
に係る発明について、『(1)本件補正は,当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしたも
のとは認められない。(2)補正前発明は,引用例(特開2001-173811号公報,甲1)
に記載された引用発明に記載された技術に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたも
のであるから,特許法29条2項の規定により,特許を受けることができない。』とした本件審決
の判断が棄却され、当該判断の誤りを主張した審決取消の請求が認容された事例。
[特許請求の範囲](審判請求時の補正後)
【請求項1】
ボディ(10)に形成された第1流路(11)および第2流路(12)の境に設けられた弁座(13)に対し,ア
クチュエータ(50)の駆動軸(ロッド 31b)に連結されたダイアフラム(20)を当接または離間させる
ことにより,前記第1流路(11)と前記第2流路(12)との間を閉鎖または開放するようにしたダイ
アフラム弁(1)において,
前記ダイアフラム(20)は,弁座(13)に当接する弁体部(21)と,弁体部(21)から外側に広がった膜
部(22)と,膜部外周縁に形成された固定部(23)とを有し,前記膜部(22)が,前記弁体部(21)に接
続され鉛直方向に形成された鉛直部(22a)と,前記固定部(23)に接続され水平方向に形成された水
平部(22c)と,前記鉛直部(22a)と前記水平部(22c)とを接続するために断面円弧状に形成された接
続部(22b)とを備えること,
前記駆動軸(31b)の先端には,前記鉛直部(22a)および前記接続部(22b)に接触して前記膜部(22)
を受け止めるために前記ダイアフラム(20)に一体化されたバックアップ(40)が設けられているこ
と,
前記膜部(22)を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと,
を特徴とするダイアフラム弁。
[争点](原告主張の審決取消事由)
取消事由1:本件補正却下の判断の誤り
取消事由2:拒絶理由通知の懈怠
[裁判所の判断]
不服2010-26882号事件の審決に対する「取消事由1に関し、本件補正が平成18年法
改正前の特許法17条の2第3項の(以下「法17条の2第3項」という)規定に適合しない
との審決の判断は誤りである。その理由は以下のとおりである。
(1)本件補正における「反転」の技術的意義について
「反転」は,ダイアフラム弁の膜部22の挙動に関わるものと理解するのが自然である。当初明
細書等(甲2)には,かかる「膜部」の「反転」という挙動に関して明示的な記載はないが,・・
一貫して高圧流体の供給制御を行う場合に,弁体部と膜部との境界に応力集中が発生し劣化が急
速に進むという問題への対処方法が述べられており,・・審判請求書において原告は,①「反転」
とは,周知のように,膜部の一部が天地を逆転すること,との意味であること,②ロールダイア
フラム式ポペット弁は,薄膜の反転動作(ロール・非ロール動作)により開閉を行うのに対して,
通常のダイアフラム式ポペット弁は,そのような反転をさせることなく開閉を行うものであるこ
と,③本願発明は,薄膜の反転動作(ロール・非ロール動作)により開閉を行うロールダイアフ
ラム式ポペット弁とは異なるものであることを述べていることが理解できる。
(2)本願発明の分野の技術常識について
引用例(甲1)には,・・図1に示すダイヤフラム式ポペット弁体とは異なるロールダイヤフラ
ム式ポペット弁体122が示されていること,ロールダイヤフラム式ポペット弁体122は,ポ
ペット弁体の頭部126と一体で頭部からポペット弁体フランジ128へ軸線方向に延在するス
リーブ124を具備すること,スリーブ124は「ロール及び非ロール動作」をすること,ピス
トンの頭部82の壁表面はスリーブ124の内側表面を支持することが理解できる。・・ダイヤフ
ラム弁の技術領域において,通常のダイヤフラム弁と,それとは異なり「ロール及び非ロール動
作」を伴うローリングダイヤフラム弁とが存在することは,引用例が公開された平成13年6月
29日時点において,特段の説明を要しない技術常識であったことが理解できる。
(3)本件補正によって追加された構成について
本件補正によって追加された「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこ
と」の構成は,「膜部の一部が天地を逆転することがなく,具体的には,ロールダイアフラム式ポ
ペット弁のような開閉時に薄膜のロール・非ロール動作を伴うことなく」との意味であることが
明らかである。
(4)被告の主張に対して
被告の主張である、「ダイアフラム弁の技術分野において「反転」の用語は,非ローリングダイ
アフラム弁においても通常用いられており(乙1~3),それは当業者にとって技術常識といえる
ものであるから,「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」という補正
事項は,原告が限定したとする通常型をも除く意味を有することとなるから,「ローリングダイア
フラム弁を除く」ことと同義とはいえない」との被告の主張に対し、乙1~3に記載された「反
転」の意味は,乙1においては,図3に示されるように,膜体6の周囲の支持部と凸球面状の弁
体3の下端との位置関係が逆になることをいい,乙2においては,ダイアフラムの外周部の湾曲
方向が上向きの凸形状と下向きの凸形状に変化することをいい,乙3においても乙2と同様のこ
とをいうと理解でき,本件補正における「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放
を行うこと」とは次元が異なるから,乙1~3の記載をもって,本件補正を不適法とすることは
できない。
(5)以上から
「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」とは,ロールダイアフラ
ム式ポペット弁のような開閉時に薄膜のロール・非ロール動作を伴うものではないものである,
という程度の意味で膜部の一部で天地が逆転しないものであることと理解すべきであり,係る事
項を加えることは,当初明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との
関係において,新たな技術的事項を導入しないものといえる。従って、本件補正が法17条の2
第3項の規定に適合しないとの審決の判断は誤りである。この誤りが審決の結論に影響を及ぼす
ことは明らかである。
[コメント]
当時の法17条の2第3項の規定に関し、審査基準として以下の5つの「基本的な考え方」が示
されていた(平成16年特許庁審査基準室作成説明会資料)。
(1)「当初明細書等に記載した事項」の範囲を超える内容を含む補正(新規事項を含む補正)
は、許されない。
(2)「当初明細書等に記載した事項」とは、「当初明細書等に明示的に記載された事項」だ
けではなく、明示的な記載がなくても、「当初明細書等の記載から自明な事項」も含む。
(3)補正された事項が、「当初明細書等の記載から自明な事項」といえるためには、当初明
細書等に記載がなくても、これに接した当業者であれは、出願時の技術常識に照らして、そ
の意味であることが明らかであって、その事項がそこに記載されているのと同然であると理
解する事項でなければならない。
(4)周知・慣用技術についても、その技術自体が周知・慣用技術であるということだけで
は、これを追加する補正は許されず、補正ができるのは、当初明細書等の記載から自明な事
項といえる場合、すなわち、当初明細書等に接した当業者が、その事項がそこに記載されて
いるのと同然であると理解する場合に限られる。
(5)当業者からみて、当初明細書等の記載(例えば、発明が解決しようとする課題につい
ての記載と発明の具体例の記載、明細書の記載と図面の記載)から自明な事項といえる場合
もある。
本件においては、上記(2),(3)および(5)の適用について緩やかな判断がされたと
解される。これは、知財高判平20.5.30(平成18年(行ケ)第10563号審決取消請求事件)「ソ
ルダーレジスト」大合議判決)等における判断を踏襲しているといえ、その後改定された現行
の審査基準に近い判断と解される。
(参考)現行の審査基準の「基本的な考え方」
「当初明細書等に記載した事項」の範囲を超える内容を含む補正(新規事項を含む補正)は、
許されない。「当初明細書等に記載した事項」とは、技術的思想の高度の創作である発明につ
いて、特許権による独占を得る前提として、第三者に対して開示されるものであるから、こ
こでいう「事項」とは明細書等によって開示された発明に関する技術的事項であることが前
提となるところ、「当初明細書等に記載した事項」とは、当業者によって、当初明細書等のす
べての記載を総合することにより導かれる技術的事項である。したがって、補正が、このよ
うにして導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものである
ときは、当該補正は、「当初明細書等に記載した事項」の範囲内においてするものということ
ができる。

平成23年(行ケ)10383号 「ダイアフラム弁」事件

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