審決取消請求事件 » 平成29年(行ケ)第10191号「溶液から細胞を分離する細胞分離方法、および、細胞分取用水和性組成物」事件

名称:「溶液から細胞を分離する細胞分離方法、および、細胞分取用水和性組成物」事件
拒絶審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成29年(行ケ)第10191号 判決日:平成30年10月29日
判決:審決取消
特許法36条6項2号、36条6項1号、36条4項1号
キーワード:明確性、サポート要件、実施可能要件
判決文:http://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/111/088111_hanrei.pdf

[概要]
本願発明者が所属する学会の構成員等が本願発明の当業者に該当すると認定したうえで、明細書等から一義的に定まらない用語「中間水」の定義及び中間水の量の算出方法は、出願前の発明者の学会での受賞により学会の構成員には広く知れ渡ったものであるから、当業者の技術常識であると認定し、かかる技術常識に基づいて、当業者が明確に理解することができると判断された事例。

[事件の経緯]
原告が、特許出願(特願2010-256467号)に係る拒絶査定不服審判(不服2016-2103号)を請求したところ、特許庁(被告)が、請求不成立の拒絶審決をしたため、原告は、その取消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を認容し、審決を取り消した。

[本願発明]
【請求項1】
中間水の量が1wt%以上、且つ30wt%以下の水和性組成物を溶液に接触させ(中間水の量が30wt%以下の水和性組成物を塗布した細胞分離用フィルターで溶液を濾過して細胞を分離する形態を除く)て、当該水和性組成物の表面に溶液中に存在する腫瘍細胞、幹細胞、血管内皮細胞、神経細胞、樹状細胞、平滑筋細胞、繊維芽細胞、心筋細胞、骨格筋細胞、肝実質細胞、肝非実質細胞、および膵ラ島細胞の少なくても一種を吸着して溶液から分離することを特徴とする細胞分離方法。

[審決]
「中間水」の量に関する記載として、本願明細書から3つの内容を認定した(判決文中、認定a~cと呼ぶ)。そして、認定a~cから中間水の量の算出方法が一義的に定まらないと認定した。さらに、中間水については、本願発明者による学術論文など少数の刊行物が見いだされたのみであり、中間水の概念やその量の算出方法が出願時の技術常識であるとまでは言えないと認定した。以上から審決では、請求項1に記載された発明は中間水の量の算出方法が当業者に理解できず、明確性、サポート要件、及び実施可能要件を満たさないと判断された。

[取消事由]
1.明確性要件違反
2.サポート要件違反
3.実施可能要件違反
※全て論点が共通するため、以下、取消事由1についてのみ記載する。

[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋)
1.取消事由1(明確性要件違反)について
『 (イ)証拠(甲1~3、5、13)及び弁論の全趣旨によると、前記(ア)の内容の「中間水」・・・(略)・・・の概念は、本願の発明者であるAが構築したものであることが認められる。そして、前記(1)によると、Aは、本願出願日である平成22年11月17日以前に、前記の内容の「中間水」の概念を構築し、学術論文に記載し、平成21年には、当該「中間水」の概念をその内容に含む研究により、日本バイオマテリアル学会科学奨励賞を受賞したことが認められる。
(ウ)本願発明は、「溶液から細胞を分離する細胞分離方法、および、細胞分取用水和性組成物」に係るものであり、医療、生体材料等の分野における研究者、企業等が、その当業者に該当すると解されるところ、日本バイオマテリアル学会は、前記(1)ウ(オ)のとおり、大学、研究機関、病院、医療機器メーカー等の研究者により構成されており、賛助会員には、化学メーカー、医療機器メーカー、製薬会社等が含まれているのであって、その構成員は、本願発明における当業者に該当すると解される。
そして、Aの「中間水」の概念をその内容に含む研究は、前記(イ)のとおり、平成21年に日本バイオマテリアル学会科学奨励賞を受賞したのであるから、当該研究内容は、日本バイオマテリアル学会の構成員や関係者には、平成21年の時点において、知られており、注目されていたと認められるのであって、本願明細書に記載された内容の「中間水」の概念は、本願出願時において、当業者の技術常識になっていたと認めることができるというべきである。
イ(ア)本願明細書には、前記(1)イのとおり、中間水について、少なくとも-40°C付近の温度において、規則化(コールドクリスタリゼーション)する傾向を強く有するものと推察されること、規則化する強い傾向の存在により、不規則な状態で凝固した状態からの加熱において、-40°C付近で規則化に伴う発熱がみられること、規則化に伴う発熱量は、規則化を生じている水の量、すなわち、中間水の量に比例するものと推察されることが記載されている。
(イ)前記(1)ウの甲1~5の記載によると、中間水の量(Wfb)は、次の式のとおり、低温結晶化した水におけるエンタルピー変化量(ΔHcc)と、水の融解熱(Cp)から得ることができることが理解される。
Wfb=ΔHcc/Cp
この式を変形すると、ΔHcc=Cp×Wfbとなり、低温結晶化した水におけるエンタルピー変化量(ΔHcc)、すなわち、コールドクリスタリゼーションに伴う発熱量は、比例定数をCpとして、中間水の量(Wfb)に比例するといえる。
このことも、前記アと同様の理由により、日本バイオマテリアル学会の構成員や関係者には、平成21年の時点において、知られていたと認められるのであって、本願明細書に記載された内容の「中間水」の量の計算方法は、本願出願時において、当業者の技術常識になっていたと認められることができるというべきである。
・・・(略)・・・
したがって、当業者は、中間水の量の算出方法については、本願明細書の記載及び本願出願時の技術常識に基づいて明確に理解することができたというべきである。
(3)ア 被告は、本願明細書から、「コールドクリスタリゼーションに伴う発熱量は、中間水の量に比例するものと推察される。」という認定aだけではなく、・・・(略)・・・認定b及び・・・(略)・・・認定cも認定できるところ、これらの認定が共存するため、本願明細書から、当業者が中間水の量をどのように算出したらよいのか明確に理解することはできない旨主張する。
認定bは、前記(1)イ(イ)b(b)の本願明細書の記載に基づくものであり、認定cは、前記(1)イ(イ)b(c)の本願明細書の記載に基づくものであるが、いずれも、中間水の量を求める方法についての具体的な内容の説明はされていない。
一方、認定aは、・・・(略)・・・上記記載を含む本願明細書の記載及び本願出願時の技術常識から、中間水の量の算出方法を明確に理解することができる。
そうすると、当業者は、本願明細書に前記(1)イ(イ)b(b)及び(c)の記載があるからといって、本願明細書の記載及び本願出願時の技術常識から明確に理解できる中間水の算出方法を理解できなくなるというものではないというべきである。
イ 被告は、当業者は、発明の詳細な説明の記載に基づき、中間水のコールドクリスタリゼーションは通常の水の凍結とは異なる相転移であると理解されるから、中間水のコールドクリスタリゼーションの単位潜熱(中間水の量を算出するための比例定数)は、通常の水の凍結の場合の単位凝固潜熱334J/gとは異なる値であると考えるのが自然である旨主張する。
しかし、前記(2)イのとおり、比例定数(Cp)は、純水の融解熱に等しいと考えられている。本願明細書に記載されたPMEAのコールドクリスタリゼーションに伴う発熱量の最大値を中間水量で除した値が313J/gであるとしても、純水の融解熱が334J/gであることは、当業者の技術常識である以上、当業者は、313J/gの方が誤差を含む数値であると考えるのか通常であると解されるのであって、このことにより、当業者が、中間水のコールドクリスタリゼーションの単位潜熱(中間水の量を算出するための比例定数)が、純水の単位凝固潜熱334J/gとは異なる値であると考えるとはいい難い。
ウ 被告は、甲1~5は、本願発明者やその共同研究者による文献であり、中間水の概念は、本願発明者らの研究グループが独自に提唱したもので、本願発明者らの研究グループ以外の当業者に、本願出願時までに広く知れ渡り、技術常識になっていたことを示す証拠はない旨主張する。「中間水」の概念が本願発明者であるAにより構築されたことは、前記(2)アのとおりであるが、前記(2)ア、イのとおり、「中間水」の概念及びその量の算出方法は当業者の技術常識となったことが認められる。
・・・(略)・・・
カ 以上のとおりであって、被告の上記主張は、いずれも採用することができない。
(4) したがって、本件審決の明確性要件の有無の判断には誤りがある。』

[コメント]
裁判所は、記載要件を判断するために考慮する技術常識の認定において、まず『医療、生体材料等の分野における研究者、企業等が、その当業者に該当すると解される』ところ、発明者が属する特定の学会の構成員及び関係者が当業者に該当すると認定した。当該学会の賛助会員企業が出願時に46社にのぼり、本願発明に関連する企業の多くが当該学会の賛助会員であったことも考慮されたものと思われる。
特許・実用新案審査基準第II部第1章第1節「実施可能要件」には、技術常識について、『「技術常識」とは、当業者に一般的に知られている技術(周知技術及び慣用技術を含む。)又は経験則から明らかな事項をいう。・・・(略)・・・当業者に一般的に知られているものであるか否かは、その技術を記載した文献の数のみで判断されるのではなく、その技術に対する当業者の注目度も考慮して判断される。』とある。被告である特許庁は主に中間水に関する刊行物の数が少ないことを主張したのに対し、裁判所は、学会受賞を「当業者の注目度」を高めたものとして審査基準に沿って評価したものと言える。
独自の概念に基づく発明はアカデミア発の発明にしばしば見られる。独自定義の用語については明細書の記載を充実させるのが基本ではあるが、有利な解釈のために技術常識を考慮せざるを得ない場合には、出願前の学会等での受賞等の実績を証拠として示したうえで、当業者の認知度を説明することは有効であろう。
以上
(担当弁理士:小林 隆嗣)