IP case studies判例研究

平成29年(行ケ)第10111号「表面硬化処理装置及び表面硬化処理方法」事件

名称:「表面硬化処理装置及び表面硬化処理方法」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成29年(行ケ)第10111号 判決日:平成30年5月30日
判決:請求棄却
特許法29条2項
キーワード:技術常識の認定、引用発明の認定
判決文:http://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/791/087791_hanrei.pdf
[概要]
引用発明を認定する際に、原告・被告(審決)それぞれが認定した技術常識は、いずれも誤っていると判断したうえで、審決における引用発明の認定は、当該審決が認定した誤った技術常識を前提とするものでないから、審決における当該技術常識の認定が誤っているからといって、審決の引用発明の認定が誤っていることにはならないという理由により、進歩性を肯定した審決を維持した事例。
[事件の経緯]
被告は、特許第5629436号の特許権者である。
原告が、当該特許の請求項2~4に係る発明につき特許を無効とする無効審判(無効2016-800055号)を請求し、被告が訂正を請求したところ、特許庁が被告による本件訂正を認めた上、本件無効審判請求を不成立とする審決をしたため、原告は、その取消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を棄却した。
[本件発明]
【請求項2】(括弧部分は、相違点部分)
処理炉内で水素を発生するガスとしてはアンモニアガスのみを含む複数種類の炉内導入ガスを前記処理炉内へ導入して、前記処理炉内に配置した被処理品の表面硬化処理としてガス窒化処理またはガス軟窒化処理を行う表面硬化処理装置であって、
前記処理炉内の炉内ガスの熱伝導度に基づいて、前記炉内ガスの水素濃度を検出する水素濃度検出手段と、
前記水素濃度検出手段が検出した水素濃度に基づいて前記アンモニアガスの炉内濃度を演算し、当該演算した炉内濃度の演算値に基づいて前記炉内ガスの組成である炉内ガス組成を演算する炉内ガス組成演算手段と、
「前記炉内ガス組成演算手段が演算した炉内ガス組成と予め設定した設定炉内ガス混合比率に応じて、前記炉内ガス組成が前記設定炉内ガス混合比率となるように、前記複数種類の前記炉内導入ガスの前記処理炉内への導入量の比率である炉内導入ガス流量比率を一定値に保持した状態で前記複数種類の前記炉内導入ガスの前記処理炉内への合計導入量を制御する第一の制御と、前記炉内導入ガス流量比率が変化するように前記複数種類の炉内導入ガスの導入量を個別に制御する第二の制御と、の両者を実行可能であるとともに、同時にはいずれか一方の制御のみを選択的に行うガス導入量制御手段と、」
を備えることを特徴とする表面硬化処理装置。
[取消事由](筆者にて適宜抜粋・追記)
1.本件発明1(上記請求項2)の新規性ないし容易想到性に係る判断の誤り(取消事由1)
2.本件発明2の容易想到性に係る判断の誤り(取消事由2)
3.本件発明3の容易想到性に係る判断の誤り(取消事由3)
4.本件各発明のサポート要件に係る判断の誤り(取消事由4)
※以下、請求項2に関係する取消事由1、4についてのみ記載する。
[原告の主張]
1.取消事由1における、主引用発明(引用発明1-1)の認定の誤り、並びに新規性及び容易想到性に係る判断の誤りについて
本件審決は、窒化ポテンシャル制御の際のNHガス流量を一定とすれば、NHの熱分解度が一定となり、窒化ポテンシャルは一定となる旨の技術常識を認定するが、かかる認定は誤りである。窒化処理を実施する際、NHガス流量を一定に維持しても、窒化処理の進行に応じてNHの熱分解度は変動し、そのことによって炉内ガス組成は変動する。したがって、炉内ガス組成に対応するパラメータである窒化ポテンシャルも変動する。この窒化ポテンシャルの変動範囲を小さく抑制するために、炉内ガス組成の変動の情報がガスセンサによって検出されて、炉内への各ガスの導入量がマスフローコントローラーによってフィードバック制御されることが、本件出願時における当業者の正しい技術常識であった。
上述の正しい技術常識を前提とすれば、引用発明1-1には本件発明1の「第一の制御」及び「第二の制御」が開示されており、引用発明1-1は、本件発明1と同一である。また、同一でないとしても、上記技術常識を適用することによって容易に想到することができたものである。
2.取消事由4について
本件審決が認定した上記の誤った技術常識を前提とする場合、本件発明1の第一の制御を行う必要性を合理的に解釈することができない。なぜなら、本件審決が認定した見解に基づけば、窒化ポテンシャルを所望の値に保持するため、すなわち、前記炉内ガス組成が前記設定炉内ガス混合比率となるためには、複数種類の前記炉内導入ガスの前記処理炉内への導入量を各々一定値に保持すれば足り、合計導入量を変動させるべきでないからである。
結局、本件審決が認定した誤った技術常識に基づいた場合、発明の詳細な説明には、当業者において、炉内ガスの熱伝導度に基づいて処理炉内の雰囲気を検出し、この検出した雰囲気を参照して処理炉内の雰囲気を制御することが可能な表面硬化処理装置を提供するという本件発明の課題を解決できると認識できる程度の具体的な方法について何らの開示もないということになる。
[被告の主張]
1.取消事由1における、主引用発明(引用発明1-1)の認定の誤り、並びに新規性及び容易想到性に係る判断の誤りについて
本件審決は、窒化ポテンシャル制御の際のNH3ガス流量を一定とすれば、「ガス流量以外に、炉内のNH3の熱分解度sの変動要因が生じない限り」、NH3の熱分解度が一定となり、窒化ポテンシャルは一定となると認定しているのであって、かかる認定に誤りはない。
引用例1では、炉内水素濃度を基に何らかのガス導入量制御を行っているのは確かであるが、フィードバック制御を行っていると断定することまではできない。
引用例1は、本件発明の発明者が執筆した技術解説記事であり、被告が開発した水素センサで炉内の水素濃度を分析し、目的の窒化ポテンシャルに自動制御できる窒化ポテンシャル制御システム付きガス軟窒化炉を紹介するための記事である。具体的なガス導入量制御のやり方は、技術解説記事が掲載される頁数に制限があるなか、商品の購買動機への寄与が低く、また、できるだけ秘匿したいノウハウとなるため、積極的に記載する必要はないし、実際に記載していない。
甲29ないし31には、「このようなフィードバック制御」、つまり、「炉内へ導入されるNH3とN2の各ガスの流量比率が一定値に保持された状態・・・で、これらのガスの総導入量がフィードバック制御され」る制御は記載されていない。したがって、原告の本件出願前の技術常識に係る主張は認められるものではない。
2.取消事由4について
本件各発明では、熱伝導式水素センサを用い、水素を発生するガスとしてアンモニアガスのみを導入する構成として、炉内ガス組成の検出精度を向上し、窒化ポテンシャルの検出精度を向上し、窒化ポテンシャルの微小な変動を測定可能とした。そして、それ以前は測定不可能だった窒化ポテンシャルの微小変動を正確に測定可能とし、その測定結果に基づいて炉内導入ガスの合計導入量を制御する「第一の制御」を実行する構成として、窒化ポテンシャルが変動の小さい状態に保持されるようにした。本件訂正明細書において、発明の詳細な説明には、「当業者において、…本件発明1~3の課題を解決できると認識できる程度の具体的な方法について」開示されているといえる。
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋・追記)
1.取消事由1における、主引用発明(引用発明1-1)の認定の誤り、並びに新規性及び容易想到性に係る判断の誤りについて
(1)被告(審決)が認定した技術常識の認定誤りについて
『・・・(略)・・・甲11には、「アンモニアの熱分解度は、流量に依存する」ことが記載されているが、アンモニアガス流量を一定とすれば、ある期間において、アンモニアの熱分解度が一定であることは記載されていない。また、「速い流れは、熱分解度を低くし、窒化ポテンシャルの値を上昇させる」ことが記載されているが、アンモニアガス流量を一定とすれば、窒化ポテンシャルの値は一定になることは記載されていない。
また、甲11の図4をみると、・・・(略)・・・アンモニアの熱分解度は記載されていないので、アンモニアガス流量とアンモニアの熱分解度の関係を読み取ることはできない。そして、図4には、アンモニアガス流量に対する窒化ポテンシャルの値が記載されているにとどまり、時間軸の記載はないから、アンモニアガス流量を一定とした場合に、ある期間において、アンモニアの熱分解度と窒化ポテンシャルが一定となることが視認されるとはいえない。実際、炉内の温度や圧力がアンモニアの熱分解度に影響を与えることは、本件出願前に知られたことであるから(乙1)、窒化処理を実施する際、NHガス流量を一定に維持しても、窒化処理の進行に応じて、炉内の温度や圧力がアンモニアの熱分解度に影響を与えることが考えられる。したがって、NHガス流量を一定とすれば、NHの熱分解度が一定であるとはいえないし、窒化ポテンシャルが一定であるともいえない。
さらに、甲11の記載を総合的に検討しても、本件審決認定の「窒化ポテンシャル制御の際のNHガス流量を一定とすれば、NHの熱分解度が一定となり、窒化ポテンシャルは一定となる」旨の技術常識を導くことはできず、他に上記技術常識を認めるに足りる証拠はない。
以上のとおり、本件審決における技術常識の認定には誤りがある。しかし、引用発明1-1、1-2の認定は、NHガス流量が一定であることを前提とするものではなく、したがって前記の誤った技術常識を前提とするものではないから、技術常識の認定が誤っているからといって、引用発明1-1、1-2の認定が誤っていることにはならない。』
(2)原告が認定した技術常識の認定誤りについて
『本件各発明の発明者の一人である河田一喜の執筆した刊行物(甲30、31)には、NHの熱分解度の変動による窒化ポテンシャルの変化を補正するために、窒化処理中に炉内の雰囲気センサを利用して窒化ポテンシャルを演算し、各導入ガス流量をフィードバック制御する技術が記載されているが、河田一喜の執筆した他の刊行物(甲29、34、35)には、必ずしもフィードバック制御を意味しない「自動制御」と記載されているにすぎず(甲29、34)、また、本件各発明とは分野を異にする浸炭のフィードバック制御に関して記載されているにすぎない(甲35)。そして、執筆者を異にする刊行物(甲36)には、モニタリングして制御する旨の記載があるにすぎず、いかなる制御であるかは定かでない。これら記載を総合すれば、『窒化ポテンシャルの変動範囲を小さく抑制するために、炉内ガス組成の変動の情報がガスセンサによって検出されて、炉内への各ガスの導入量がマスフローコントローラーによってフィードバック制御されること』が当業者の技術常識であったとは認め難い。そして、引用例1の図5、図7等の記載(前記2(1)ウ及びエ)をみると、「ガス種と導入ガス量とについての設定信号をマスフローコントローラーへ送ると炉内ガスを調整でき、窒化ポテンシャルを自動制御できること」、「炉内のH濃度、窒化ポテンシャルKが特定値となるように、NHとNのそれぞれの導入ガス量についての設定信号をマスフローコントローラーへ送って炉内ガスを調整すること」、「水素濃度についての測定値及びその測定値から求まる窒化ポテンシャルの値についての時間の推移に伴う小刻みな変動がそれぞれ生じたこと」を認識することはできるが、引用例1には「NHの熱分解度s」と「NHガスを含む導入されるガスの総流量」の関係について記載されていないから、「NHの熱分解度sの変化に応じて、NHガスを含む導入されるガスの総流量を制御する」ことを認識することができない。』
よって、引用例1の記載から、「炉内のNHの熱分解度sの変動に起因する窒化ポテンシャルの変動を抑制するべく、ガスの導入量をフィードバック制御すること」を読み取ることはできず、原告の主張は理由がないと判断した。
2.取消事由4について
本願明細書の段落[0046]等の記載及び第一実施例~第三実施例の記載によれば、
『当業者は、本件訂正明細書の記載から、本件発明1の各手段を備える表面硬化処理装置によって、「炉内ガスの熱伝導度に基づいて処理炉内の雰囲気を検出し、この検出した雰囲気を参照して処理炉内の雰囲気を制御することが可能な、表面硬化処理装置及び表面硬化処理方法を提供すること」(前記1(3))という課題を解決できることを認識できるといえる。
ここで、当業者が課題を解決できることを認識できる否かにおいて、本件審決の認定した「窒化ポテンシャル制御の際のNHガス流量を一定とすれば、NHの熱分解度が一定となり、窒化ポテンシャルは一定となるとの技術常識」は何ら関係していない。』
よって、サポート要件を満たすと判断した。
[コメント]
審決が技術常識として認定した「窒化ポテンシャル制御の際のNHガス流量を一定とすれば、NHの熱分解度が一定となり、窒化ポテンシャルは一定となる」事項について、判決では、根拠とした甲11では記載が不十分なうえ、乙1文献には上記事項に反する内容の記載があるとして、技術常識として認定されなかった。また、原告の主張する「窒化ポテンシャルの変動範囲を小さく抑制するために,炉内ガス組成の変動の情報がガスセンサによって検出されて、炉内への各ガスの導入量がマスフローコントローラーによってフィードバック制御される」事項について、判決では、本件発明の発明者が執筆した刊行物(甲30、31)を除く他の刊行物に十分な記載がなく、一部刊行物は窒化ではなく浸炭という異分野の技術であるとして、当業者の技術常識として認定されなかった。
引用発明を認定するための技術常識に言及するとき、当該技術常識の証拠として示す文献には、当該技術常識の内容が十分に記述されているか、引用発明との技術分野の共通性を満たしており、引用発明と十分に整合し得るか、及び本件発明とは異なる者により著述されたものか、が問われた事例である。
以上
(担当弁理士:赤尾 隼人)

平成29年(行ケ)第10111号「表面硬化処理装置及び表面硬化処理方法」事件

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