審決取消請求事件 » 平成29年(行ケ)第10040号「熱間プレス部材およびその製造方法」事件

名称:「熱間プレス部材およびその製造方法」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成29年(行ケ)第10040号 判決日:平成30年3月12日
判決:請求棄却
特許法29条2項
キーワード:進歩性、動機付け、再現実験
判決文:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/562/087562_hanrei.pdf

[概要]
本件発明1の課題や相違点に係る構成が引用例1及び周知技術に記載も示唆もされていないので、引用例1に本件発明と重複するめっき塗付与量が記載され、Zn-Niめっき鋼板のNi含有率を13質量%以上にすることが周知技術であったとしても、引用発明1におけるZn-Ni合金めっき層について、Zn-Niめっき鋼板のNi含有率を12質量%から13質量%以上のものに変更することや、Ni含有率を10質量%以上13質量%未満の状態に維持したままで、めっき付着量を「50g/m²」から「50g/m²超え」とすることの動機付けが存在しないとされた事例。
原告の再現実験は、あくまで、原告が本件各発明を認識した上で本件特許の優先日後に行った実験の結果を示すものであり、本件特許の優先日時点において、当業者が、引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が上記のとおりであることを認識できたことを裏付けるものとはいえないとされた事例。

[事件の経緯]
被告は、特許第4849186号の特許権者である。
原告が、当該特許の請求項1ないし3及び5ないし11に係る発明についての特許を無効とする無効審判(無効2013-800225号)を請求し、被告が訂正を請求したところ、特許庁が、訂正を認めるとともに、請求不成立(特許維持)の審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を棄却した。

[本件発明]
【請求項1(訂正後)】
鋼板表面に13質量%以上のNiを含むZn-Ni合金めっき層を有するNi系めっき鋼板、又は、鋼板表面に10質量%以上13質量%未満のNiを含み、かつ鋼板片面当たりの付着量が50g/m²超えのZn-Ni合金めっき層を有するNi系めっき鋼板を熱間プレスした熱間プレス部材であって、部材を構成する鋼板の表層にNi拡散領域が存在し、前記Ni拡散領域上に、順に、Zn-Ni合金の平衡状態図に存在するγ相に相当する金属間化合物層、およびZnO層を有し、かつ25℃±5℃の空気飽和した、0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることを特徴とする熱間プレス部材。

[取消事由]
(1)本件発明1ないし3の進歩性に係る判断の誤り(取消事由1)
(2)本件発明5の進歩性に係る判断の誤り(取消事由2)
(3)本件発明6の進歩性に係る判断の誤り(取消事由3)
(4)本件発明7ないし11の進歩性に係る判断の誤り(取消事由4)
※以下、取消事由1についてのみ記載する。

[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋)
『(ア) 相違点1の容易想到性
引用例1には、①引用発明の課題は、難プレス成形材料について熱間プレスを行っても所定の耐食性を確保でき、外観劣化が生じない・・・(略)・・・技術を提供することであること・・・(略)・・・、②鋼板の犠牲防食作用のある亜鉛系めっき鋼板に熱間プレスを適用することにより、めっき層表面に亜鉛の酸化皮膜が、下層の亜鉛の蒸発を防止する一種のバリア層として全面的に形成されること、また、めっき層は、かなり合金化が進んでおり、それにより、めっき層が高融点化してめっき層表面からの亜鉛の蒸発を防止しており、かつ鋼板の鉄酸化物形成を抑制していること、・・・(略)・・・熱間プレス成形後においてめっき層と母材である鋼板との密着性が良好であること・・・(略)・・・、③・・・(略)・・・亜鉛合金めっきとしては、例えば亜鉛-鉄合金めっき、亜鉛-12%ニッケル合金めっきなどの系があること、亜鉛系めっき層の組成は特に制限がなく、・・・(略)・・・合金元素をその目的に応じて適宜量添加した亜鉛合金めっき層であってもよいこと・・・(略)・・・、④めっき付着量は90g/m²以下が良好であり、これを超えるとバリア層としての亜鉛酸化層の形成が不均一となり外観上問題があること、下限は特に制限しないが、薄過ぎるとプレス成形後に所要の耐食性を確保できなくなったり、加熱の際に鋼板の酸化を抑制するのに必要な酸化亜鉛層を形成できなくなったりすることから、通常は20g/m²程度以上は確保すること、より過酷な加熱の場合、望ましくは40~80g/m²の範囲で性能良好となること・・・(略)・・・、⑤実施例として、亜鉛-12%ニッケル合金めっきが具体的に記載されており、プレス成形性の優れた材料が得られ、成形品として優れた塗膜密着性及び耐食性を示したこと・・・(略)・・・が記載されている。
一方、引用例1には、①熱間プレスを行っても所定の耐食性を確保でき、外観劣化が生じない熱間プレス用の鋼材を提供するという引用発明の課題と、Zn-Ni合金めっきにおけるNi含有率や、鋼板片面当たりのZn-Ni合金めっき層の付着量、熱間プレス部材を加熱する際の平均昇温速度との関係についての記載、②・・・(略)・・・Ni拡散領域を存在させると、腐食に伴う鋼中への水素侵入が抑制されること、・・・(略)・・・金属間化合物層を設けると、優れた塗装後耐食性が得られること、・・・(略)・・・ZnO層を設けると、優れた塗装密着性が得られることなどの、熱間プレス部材の鋼板表面の皮膜状態の構造についての記載、③上記Ni拡散領域及び金属間化合物層は、・・・(略)・・・常に生成されるものではなく、Zn-Ni合金めっき層のNi含有率や、鋼板片面当たりのZn-Ni合金めっき層の付着量、熱間プレス部材を加熱する際の平均昇温速度を適切に設定しないと、Ni拡散領域の形成が不十分となり、金属間化合物層を形成することができないことについての記載、④引用発明1の鋼板表面の皮膜状態の構造が、Ni拡散領域上に、順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有していることを示す記載はなく、これらのことを示唆する記載もない。
そうすると、当業者において、Zn-Ni合金めっき層のNi含有率や、Ni含有率と鋼板片面当たりのZn-Ni合金めっき層の付着量との関係に着目し、鋼板の表層にNi拡散領域を十分に形成し、腐食に伴う鋼中への水素侵入を抑制可能な熱間プレス部材とするために、引用例1において優れたプレス成形性、塗膜密着性及び耐食性を示したことが記載されている引用発明1のZn-Ni合金めっき層について、あえてZn-Niめっき鋼板のNi含有率を12質量%から13質量%以上のものに変更することや、Ni含有率を10質量%以上13質量%未満の状態に維持したままで、めっき付着量を「50g/m²」から「50g/m²超え」とすることの動機付けは存在しない。
(イ) 原告の主張について
a 原告は、・・・(略)・・・めっき中のNiの含有量を13%以上とすることで優れた特質を得られること・・・(略)・・・(甲5の1~5)、当業者であれば、耐錆性等の目的に応じて、・・・(略)・・・Ni含有量を適宜調整して13%以上とすることや、めっき付着量を50g/m²からごく僅かな量だけ増やすこと・・・(略)・・・は容易である旨主張する。
・・・(略)・・・
(f) 甲5の1ないし4の記載から、本件特許の優先日時点において、自動車用鋼板として用いられる亜鉛系めっき鋼板について、めっき中のNiの含有量を13%以上とすることは、周知の技術事項であったと認められる。しかし、甲5の1ないし5にも、引用発明の課題である熱間プレス用の鋼材の耐食性の確保、外観劣化の防止と、Zn-Ni合金めっきにおけるNi含有率や、鋼板片面当たりのZn-Ni合金めっき層の付着量、熱間プレス部材を加熱する際の平均昇温速度との関係については記載されていない。
c そうすると、引用例1に、・・・(略)・・・めっき付着量は90g/m²以下が良好であり、下限は特に制限しないが、通常は20g/m²程度以上は確保することが記載され、また、本件特許の優先日時点において、・・・(略)・・・めっき中のNiの含有量を13%以上とすることが周知の技術事項であった(甲5の1~5)としても、引用発明1におけるZn-Ni合金めっき層について、Zn-Niめっき鋼板のNi含有率を12質量%から13質量%以上のものに変更することや、Ni含有率を10質量%以上13質量%未満の状態に維持したままで、めっき付着量を「50g/m²」から「50g/m²超え」とすることの動機付けが存在しないことについては、前記(ア)のとおりである。』

『イ 相違点2について
本件審決は、本件発明1に係る無効理由の判断において、相違点1についてのみ判断した。しかし、原告被告ともに相違点2の容易想到性について主張立証しているところから、相違点2についても検討する。
(ア) 引用例1の記載
・・・(略)・・・
一方、引用例1には、・・・(略)・・・引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が、Ni拡散領域上に、順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており、かつ、25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることを示す記載はなく、このことを示唆する記載もない。
・・・(略)・・・
e 以上のとおり、本件優先日以前に頒布された刊行物・・・(略)・・・には、Zn-Niめっき鋼板の熱間プレス部材の表面構造に関する記載はない。したがって、これらの記載から、熱間プレス部材である引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が、Ni拡散領域上に、順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており、・・・(略)・・・自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることが技術常識であったと認めることはできない。また、本件特許の優先日時点の当業者において、技術常識に基づき、引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が、Ni拡散領域上に、順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており、かつ、・・・(略)・・・自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることを認識することができたものとも認められない。
(ウ) よって、相違点2は実質的な相違点ではないとはいえないし、相違点2につき、引用発明1及び技術常識に基づいて当業者が容易に想到できたものということもできない。
(エ) 原告の主張について
原告は、Zn-Niめっき鋼板に熱間プレスを施した場合、Ni拡散領域、γ相、ZnO層が、下から上にこの順番で形成され、そのような表面構造を有するめっき部材が本件発明1の自然浸漬電位を有することは、当業者の技術常識に基づいて容易に予測されるものであり、甲2による引用発明の再現実験により、確かにこの表面構造が生成することが確認されている旨主張する。
しかし、前記(イ)において認定したことに照らすと、当業者が、本件特許の優先日時点において、引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が、Ni拡散領域上に、順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており、かつ、・・・(略)・・・自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることを引用発明が本来有する特性として把握していたと認めることはできない。
また、甲2は、引用発明に係る亜鉛-12%ニッケル合金電気めっき鋼板につき、引用例1の【表1】及び【表5】に記載される鋼種Aの化学成分を狙い値として製造された鋼種(鋼種A)に対し、鋼板表面の皮膜状態の構造の調査を行った原告従業員作成の実験結果の報告書であるところ、・・・(略)・・・鋼板表面の皮膜状態の構造が、Ni拡散領域上に、順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており、かつ、・・・(略)・・・自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることが確認されたことが記載されている。
しかし、甲2の記載は、あくまで、原告が本件各発明を認識した上で本件特許の優先日後に行った実験の結果を示すものであり、本件特許の優先日時点において、当業者が、引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が上記のとおりであることを認識できたことを裏付けるものとはいえない。』

[コメント]
裁判所は、相違点1に係る構成について、引用発明の課題と、本件発明1の構成との関係については記載されていないから、引用例1に本件発明1と重複するめっき付着量が記載され、本件特許の優先日時点において、めっき中のNiの含有量を13%以上とすることが周知の技術事項であったとしても、引用発明1においてZn-Niめっき鋼板のNi含有率を12質量%から13質量%以上に変更することや、Ni含有率を10質量%以上13質量%未満の状態に維持したままで、めっき付着量を「50g/m²」から「50g/m²超え」とすることの動機付けが存在しないと判断した。
また、相違点2に係る構成について、熱間プレス部材である引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が、Ni拡散領域上に、順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有し、自然浸漬電位が所定範囲であることが技術常識であったと認めることはできず、引用発明の追試についても、あくまで原告が本件各発明を認識した上で本件特許の優先日後に行った実験の結果を示すものであり、本件特許の優先日時点において、当業者が、引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が上記のとおりであることを認識できたことを裏付けるものとはいえないと判断した。
本件発明1の課題及び構成が記載も示唆もされていない以上、容易想到性を認めなかった裁判所の判断は結果的には妥当と考える。ただし、裁判所も相違点1、2に係る構成についての技術常識の存在を認めているので、それらを否定するためのもう少し踏み込んだ論理構成が求められるところである。
化学分野の審査では、引例に記載のない構成について、引例では本願発明と類似の組成及び製法を採用しており、周知例に引例の構成を本願発明の構成に近付ける記載があるから、それらの記載に従って得られたものは本願発明と同様の構成を有する蓋然性が高いとされることが間々ある。その場合でも、本裁判例の判示事項に従えば、相違点に係る構成の課題の独自性や引例の課題と相違点に係る構成との関連性の不記載を主張して動機付けを否定することで審査官の心証を覆し得る余地があるといえる。
被告の再現実験についての裁判所の評価としては、再現実験は全て事後的に行われるのであって、引用例の追試を忠実に行っており、かつ本件発明と同等の構成及び効果が得られている以上、少し原告に酷な感があることは否めない。本件無効審判の無効理由が新規性ではなく進歩性であることや、合金という特殊分野であることが影響しているのであろう。
以上
(担当弁理士:藤井 康輔)