審決取消請求事件 » 平成28年(行ケ)第10152号「電荷制御剤」事件

名称:「電荷制御剤」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成28年(行ケ)第10152号 判決日:平成29年8月3日
判決:請求棄却
条文:特許法36条6項2号、36条4項1号、29条1項3号
キーワード:明確性要件、実施可能要件、新規性、再現
判決文:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/017/087017_hanrei.pdf

[概要]
本件明細書及び本件出願当時の技術常識から、本件特許における発明特定事項は明確であり、実施に当たり過度な試行錯誤を要せず、新規性を否定するための根拠となる再現実験が忠実に再現されたものではないとして、特許性を肯定した審決が維持された事例。

[事件の経緯]
原告が、本件特許(特許第4627367号)に係る無効審判(無効2015-800130号)を請求したところ、請求は成り立たないとの審決が下されたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を棄却した。

[本件発明](筆者にて適宜抜粋)
【請求項1】一般式(3)で表される金属錯塩化合物を含む電荷制御剤であって、当該金属錯塩化合物をイオン交換水に1重量%分散させたときの電気伝導度が110μS/cm以下であることを特徴とする電荷制御剤。
【化1】
(式中・・・(略)・・・)
[取消事由]
取消事由1(明確性要件に関する判断の誤り)
取消事由2(実施可能要件に関する判断の誤り)
取消事由3(新規性に関する判断の誤り)

[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋)
『2 取消事由1(明確性要件に関する判断の誤り)について
原告は、本件発明における「電気伝導度」、「イオン交換水」及び「分散」という発明特定事項が不明確であり、明確性要件を欠くと主張するので、以下、判断する。
(1)「電気伝導度」について
ア 原告は、審決が特許請求の範囲に何ら記載されていない事項で本件発明の要旨を認定し、本件明細書に記載された「一例に過ぎない測定方法」により合理的な理由なく本件発明を限定しているから、審決の判断は誤りであると主張する。
しかし、本件特許請求の範囲の「当該金属錯塩化合物をイオン交換水に1重量%分散させたときの電気伝導度が110μS/cm以下であること」という記載を前提とした上で、本件明細書の段落【0020】の「電気伝導度の測定方法は例えば次のようにして行う。金属錯塩化合物乾燥品1.5gをイオン交換水150mlに分散して、15分間煮沸する。流水により、室温まで冷却後、5A濾紙で濾過する。この濾液について蒸出水はイオン交換水で150mlに調製し、電気伝導度計(HORIBA導電率メーターES-14)で測定する。」との記載を考慮すると、本件発明の「電気電導度」の意義が不明確であるということはできない。
・・・(略)・・・
イ 原告は、電気伝導度の測定対象を「濾液」とした審決の認定は誤りであると主張する。
しかし、審決は、本件明細書の段落【0020】の「金属錯塩化合物乾燥品1.5gをイオン交換水150mlに分散して、15分間煮沸する。流水により、室温まで冷却後、5A濾紙で濾過する。この濾液について蒸出水はイオン交換水で150mlに調製し、電気伝導度計(HORIBA導電率メーターES-14)で測定する。」との記載を前提とした上で、「「濾液」について電気伝導度計で測定したもの」との記載をしているのであり、その意味するところは、「煮沸により水分が蒸発して容量が減少した分についてイオン交換水を加えて全体の容量が150mlに戻るように調製された後の濾液を電気伝導計で測定したもの」と理解することができるから、その認定に誤りがあるということはできない。
ウ 原告は、被告製品で型番が同一の複数の電荷制御剤について、本件明細書の段落【0020】に記載された測定方法により電気伝導度を測定したが、測定するたびに測定結果が異なっており、これでは物性値として特定できる値を測定できないと主張する。
甲41~43には、本件明細書の段落【0020】に記載された測定方法によって測定された、被告製品「DL-N33」の電気伝導度が9.1~12.6μS/cmであり、被告製品「N33」の電気伝導度が6.7~12.4μS/cmであることが記載されており、同じ対象物を同じ測定方法で測定しても測定結果が異なる場合があるということができる。しかし、そうであるからといって、本件発明の「電気伝導度」という文言が不明であるというべき理由はない。・・・(略)・・・
(2)「イオン交換水」について
ア 原告は、甲24、甲19の1(審決乙12)などを根拠に、本件発明における「イオン交換水」は、JIS(甲8、審決乙1)に規定されている電気伝導度を有するイオン交換水に限定されるものではなく、例えば、1~50μS/cmの範囲内の水もイオン交換水と扱われるなどと主張する。
しかし、本件発明は、電荷制御剤の表層に存在する無機塩量と画像安定性との関係に着目し、金属錯塩化合物をイオン交換水に1重量%分散させたときの電気伝導度を測定することにより、電荷制御剤の表層の無機塩量を測定し、この電気伝導度を一定範囲に制御することで、優れた画像安定性の得られる電荷制御剤を提供するものであるから、本件発明の「イオン交換水」は、できるだけ電荷制御剤の表層の無機塩量のみに起因する電気伝導度を測定できるよう、可能な限り電気伝導度の小さいものを意味していることは、当業者に明らかであるということができる。
このような電気伝導度の小さい「イオン交換水」として、JIS(平成3年3月1日改正)には「25℃で電気伝導度が0.1~1μS/cm程度の水が得られる」(甲9の18頁)との記載があり、これによると、本件発明のように可能な限り電気伝導度の小さいイオン交換水を使用する場合に、JISに記載された「25℃で電気伝導度が0.1~1μS/cm程度の水」を使用することは、本件出願当時の技術常識であったというべきである。こうした技術常識を踏まえると、本件明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明において、本件発明の「イオン交換水」の電気伝導度についての定義がされていないとしても、本件発明の「イオン交換水」が不明確であるということはできない。・・・(略)・・・
(3)「分散」について
ア 原告は、本件発明において、「分散」について何ら特定されていないと主張する。
しかし、「分散」との文言は、一般的には、「ある物質が、他の均一な物質の中に微粒子状になって散在する現象」(広辞苑第五版[甲11、審決乙4])を意味するものであると認められ、これを、本件発明に即していうと、本件発明の「分散」は、「金属錯塩化合物」という物質が、「イオン交換水」という均一な物質の中に、微粒子状になって散在する現象を意味するということができる。・・・(略)・・・
そうすると、当業者は、本件発明の「分散」を、電荷制御剤の表層に存在する無機塩量に起因する電気伝導度を測定可能なように、「金属錯塩化合物」が、「イオン交換水」中に微粒子状になって散在する状態を意味していると、一義的に理解することが可能であるということができ、本件発明の「分散」との文言の意味は明確であるといえる。
イ これに対し、原告は、被告製品である電荷制御剤について、異なる分散装置を使用し、分散時間を変化させて電気伝導度の測定を行ったところ、分散時間を長くするにしたがって電気伝導度は増加し、110μS/cmを超えても変化し続け、飽和値に達しなかった(甲44)と主張する。
しかし、甲44の実験1は・・・(略)・・・対象となる電荷制御剤は粉砕されて、微粒子化したものと考えられる。・・・(略)・・・本件発明における「分散」とは、電荷制御剤の表層に存在する無機塩量に起因する電気伝導度を測定可能なように分散させることを意味するから、電荷制御剤の表層ではなかった部分(内部にあった部分)を新たに表層(表面)とするような粉砕をすることまでを意味していないというべきである。・・・(略)・・・
以上によると、本件発明における「分散」とは、粉砕を伴う方法を含まないというべきであるから、甲44に基づく原告の主張は前提を欠くもので、採用することができない。』

『3 取消事由2(実施可能要件に関する判断の誤り)について
(1)化合物の製造条件について
本件発明の「電荷制御剤」の製造条件に関し、請求項1の「イオン交換水に1重量%分散させたときの電気伝導度が110μS/cm以下である」ものとして調製する方法に関し、原告は、本件明細書には、製造例1、2、実施例1~3の具体的な実施条件は全く記載されておらず、「圧力」、「G」、「洗浄水量」をいかなる数値にしたときにどのような電気伝導度になるのかが明らかではないと主張する。
しかし、本件明細書の段落【0018】及び【0019】には、①ヌッチェ等の濾過機での洗浄では、本件発明の課題の解決には至らないこと、及び②フィルタープレスのように大きな圧力をかけて濾過する方法、遠心濾過のように大きなGをかけて濾過する方法、水洗などをより十分な水を用いて行う方法、これらの操作を繰り返して行うか、これらを併用して行う方法、逆浸透膜、半透膜を用い電気伝導度を110μS/cm以下に調製する方法等が有効であるとの記載が存在する。
このように・・・(略)・・・当業者であれば、例えば、フィルタープレスにおける「圧力」、遠心濾過における「G」、水洗における「洗浄水量」などの条件を具体的に設定することや、それらを繰り返し行い、又は併用することなどにより、過度の試行錯誤をすることなく、「イオン交換水に1重量%分散させたときの電気伝導度が110μS/cm以下である」ものとして調製することができるというべきである。・・・(略)・・・
(2)電気伝導度の差について
原告は、同じ製造例2で製造した実施例2と実施例3の電気伝導度に差があることから、本件発明を実施することができないと主張する。
しかし、前記のとおり、金属錯塩化合物を「イオン交換水に1重量%分散させたときの電気伝導度」は、その表層に残存する無機塩量により異なってくるのであるから・・・(略)・・・
当業者であれば、両者における電気伝導度の相違は、製造例2における濾過及び水洗の具体的条件の相違に起因することを理解することができると考えられる。そして、前記のとおり、濾過及び水洗の具体的条件を設定することについて、当業者に期待される程度を越える過度の試行錯誤が必要であるということはできないから、製造例2で製造した実施例2と実施例3の電気伝導度に差があることにより、本件発明の実施可能性は左右されないというべきである。
(3)分散に用いられる「水」について
原告は、実施例1~3及び比較例1、2(段落【0101】~【0105】)は、いずれもイオン交換水ではなく「水」に分散させたときの電気伝導度が記載されているので、本件明細書には請求項1に対応する実施例が記載されていないと主張する。
確かに、本件明細書の段落【0101】~【0105】では、いずれも「水」との文言が用いられているものの、請求項1には、「当該金属錯塩化合物をイオン交換水に1重量%分散させたときの電気伝導度が110μS/cm以下」と記載され、本件明細書においても、例えば、段落【0014】に「本発明者らは金属錯塩化合物をイオン交換水に1重量%分散させたときの電気伝導度と安定した画像濃度との間に強い相関関係があることを見出すことにより本発明を完成した」と記載されているように、本件発明に係る金属錯塩化合物を「イオン交換水」に分散することとされているのであるから・・・(略)・・・「水」は「イオン交換水」を意味するものと解すべきである。・・・(略)・・・』

『4 取消事由3(新規性に関する判断の誤り)について
・・・(略)・・・
(2)本件発明と甲1発明の同一性について
本件発明と甲1発明との相違点は、前記のとおり、「金属錯塩化合物をイオン交換水に1重量%分散させたときの電気伝導度が、本件発明は「110μS/cm以下」であるのに対して、甲1発明はその特定がない点」であるところ、原告は、甲4の電気伝導度が19.4μS/cmであり、本件発明の定める技術的範囲に含まれるとの結果が得られたから、本件発明は甲1に記載された発明であると主張する。
・・・(略)・・・
イ 甲4実験の方法について
・・・(略)・・・
そこで、甲4実験における試料の調製方法についてみると・・・(略)・・・甲4実験で採用されている「エタノール」を用いた洗浄は甲1に記載されていない手順であるということができるから、甲4実験における試料の調製方法は、甲1の段落【0057】に記載された「荷電制御剤C」の調製方法を忠実に再現しているということはできない。・・・(略)・・・』

[コメント]
本判決では、明確性要件に関して、出願当時の技術常識などを根拠にとして判断され、また、実施可能要件に関しては、当業者にとって過度な試行錯誤を必要としないとして、特許性を認めている。ただ、第三者(審査官及び審判官を含む)からの特許性への疑義を回避するためには、特許請求の範囲に記載の発明特定事項に関して、それらを特定する条件を可能な限り、明細書に記載しておくことが望ましいと考える。
以上
(担当弁理士:西﨑 嘉一)