IP case studies判例研究

平成28年(行ケ)10187号「可逆熱変色性筆記具用水性インキ組成物」事件

名称:「可逆熱変色性筆記具用水性インキ組成物」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成28年(行ケ)10187号 判決日:平成29年8月30日
判決:請求棄却
特許法36条6項2号
キーワード:明確性、粒子径、測定方法
判決文:http://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/045/087045_hanrei.pdf
[概要]
本件発明1の「平均粒子径」に係る粒子径の定義が不明であるため、「平均粒子径は、0.5~2.0μmの範囲にあり」の意義を特定することができず、本件発明1の内容は不明確である、とされた事例。
[事件の経緯]
原告は、特許第4961115号の特許権者である。
被告が、当該特許の請求項1~7に係る発明についての特許を無効とする無効審判(無効2014-800168号)を請求したところ、特許庁が、当該特許を無効とする審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を棄却した。
[本件発明1]
可逆熱変色性筆記具用水性インキ組成物を収容したボールペン形態の筆記具であって、
前記可逆熱変色性筆記具用水性インキ組成物は、・・・(略)・・・可逆熱変色性マイクロカプセル顔料と、水を少なくとも含有してなり、ここで、前記可逆熱変色性マイクロカプセル顔料の平均粒子径は、0.5~2.0μmの範囲にあり、・・・(略)・・・筆記具。
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋、下線)
『 1 明確性要件について
(1)特許法36条6項2号は、特許請求の範囲の記載に関し、特許を受けようとする発明が明確でなければならない旨規定するところ、この趣旨は、特許請求の範囲に記載された発明が明確でない場合には、特許の付与された発明の技術的範囲が不明確となり、第三者に不測の不利益を及ぼすことがあり得るため、そのような不都合な結果を防止することにある。そして、特許を受けようとする発明が明確であるか否かは、特許請求の範囲の記載のみならず、願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し、また、当業者の出願時における技術常識を基礎として、特許請求の範囲の記載が、第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。
(2) 原告らは、本件発明のマイクロカプセル顔料の粒子が略球形であるにもかかわらず、審決が、同粒子が略球形と断言できないことを前提として、本件特許請求の範囲にいう「平均粒子径」の意義が特定できないため本件発明が不明確であるとした判断に誤りがあると主張する。そこで、「平均粒子径」の意義につき検討する。
ア 本件特許請求の範囲及び本件明細書中に、「平均粒子径」の意義に関する明示の記載はない。
イ 「平均粒子径」の意義に関して、証拠には、以下の記載がある。』
『 ウ これらの記載及び弁論の全趣旨を総合すると、「平均粒子径」の意義は、次のとおりであることが認められる。
本件発明のように平均粒子径を規定する場合には、ある粒子径(代表径)の定義を用いて、ある基準で測定された粒度分布が与えられることが必要と解されるところ、粒子径(代表径)の定め方には、定方向径、ふるい径、等体積球相当径、ストークス径、光散乱相当径など、種々の定義がある。そして、粒子の形状に応じて、以下のとおりとなる。
(ア)球形粒子(略球形の粒子を含む。)の場合には、直径をもって粒子径(代表径)とするのが一般的であり、同一試料を測定すれば、ふるい径等の一部を除いて、粒子径(代表径)の値は、定義にかかわらず等しくなる。
(イ)非球形粒子の場合には、同一試料を測定しても、異なった粒子径(代表径)の定義を採用すれば、異なる粒子径(代表径)の値となり、平均粒子径も、異なってくる。
(3) 以上によれば、本件発明の「平均粒子径」の意義が明確といえるためには、少なくとも、①「可逆熱変色性マイクロカプセル顔料」が球形(略球形を含む。)であって、粒子径(代表径)の定義の違いがあっても測定した値が同一となるか、又は②非球形であっても、粒子径(代表径)の定義が、当業者の出願時における技術常識を踏まえて、本件特許請求の範囲及び本件明細書の記載から特定できる必要がある。
2 マイクロカプセル顔料の形状について
審決が、本件発明において想定しているマイクロカプセル顔料が略球形であると断定することは不可能であると判断したのに対し、原告らは、マイクロカプセル顔料は、粒子径(代表径)の定義による差異が測定誤差を超えない程度の略球形である旨主張する。そこで、以下検討する。
(1) 検討結果
ア 本件明細書の【0010】には、「マイクロカプセル顔料は、円形断面の形態であっても非円形断面の形態であってもよい。」と記載されているが、それ以外に、本件特許請求の範囲又は本件明細書にマイクロカプセル顔料の形状を限定する記載はない。
原告らは、この記載は、マイクロカプセル顔料は本来球形であるものの、何らかの理由で内部が収縮すると壁膜が少しへこみ、空気が少し抜けたビーチボールのように断面がゆがむことがあるので、このようなマイクロカプセル顔料であっても使用可能であることを注意的に記載したものであると主張する。
しかし、原告パイロットインキの特許出願に係る公開特許公報である甲24文献には、「本発明に適用される可逆熱変色性微小カプセル顔料は、非円形断面形状のもの、なかでも窪みを有する断面形状の形態(図1~図3参照)に特定される。」(【0006】)と記載されている(・・・(略)・・・)。また、同じく原告パイロットインキの特許出願に係る公開特許公報である甲23文献及び乙11文献でも、「非円形断面の形態」(甲23文献【0006】)又は「表面に窪み(凹部)を有する形状のもの」(乙11文献【0006】)として、甲24文献の図1~図3と酷似した図面が記載されている。これらの記載に加え、「円形断面」と「非円形断面」を並列して記載していることからすれば、上記本件明細書の【0010】の記載は、注意的な記載にとどまるものではなく、甲24文献の図1~図3の形状のように、球形とはいえないマイクロカプセル顔料も、本件発明に含まれることを積極的に意味すると解される(・・・(略)・・・)。
さらに、上述した甲24文献の「本発明に適用される可逆熱変色性微小カプセル顔料は、非円形断面形状のもの、なかでも窪みを有する断面形状の形態(図1~図3参照)に特定される。」(【0006】)との記載や、乙11文献の「当該方法(判決注―界面重合法、界面重縮合法によるカプセル化方法)によって得られたカプセルの外観形状は、少なくとも1以上の窪み(凹部)を有し、全体的に半球状の偏平性外観を備えている。」との記載によれば、マイクロカプセル顔料粒子の全てが、球形とはいえない形状となる場合もあると認められる。
以上のとおり、本件発明1の「可逆熱変色性マイクロカプセル顔料」の集合体には、球形とはいえないマイクロカプセル顔料が一定数ないし全てを占める集合体も含まれると解される。そして、このような「可逆熱変色性マイクロカプセル顔料」の集合体については、前記1のとおり、粒子径(代表径)の定義の違いが「平均粒子径」の値に影響を及ぼすものと認められる。』
『3 粒子径(代表径)について
(1) 前記2のとおり、本件発明には非円形断面形状のマイクロカプセル顔料も含まれると解されるので、本件発明が明確といえるためには、前記1のとおり、粒子径(代表径)の定義が、当業者の出願時における技術常識を踏まえ、本件特許請求の範囲及び本件明細書の記載から特定できる必要がある。
(2) 本件特許請求の範囲及び本件明細書には、粒子径(代表径)の定義に関する明示の記載はない。
当業者の技術常識を検討すると、平成11年11月1日から平成14年10月31日までの間に、筆記具用インクの平均粒子径の測定方法が記載された特許出願の公開特許公報58件のうち、レーザ回折法で測定したものが23件、遠心沈降法で測定したものが6件、画像解析法で測定したものが8件、動的光散乱法で測定したものが22件(うち1件は遠心沈降法と動的光散乱法を併用)であった一方、等体積球相当径を求めることができる電気的検知帯法で測定しているものはなかったこと(甲20)、平成14年6月1日から平成17年5月31日までの間の特許出願について、審判官が職権により甲20と同様の調査したところ、原告ら及び被告以外の当業者では、電子顕微鏡法、レーザ回折・散乱法、遠心沈降法により平均粒子径を測定している例があった一方、電気的検知帯法が用いられた例は発見されていないこと(弁論の全趣旨)が認められる。また、種々の測定方法で得た値から、再度計算して、等体積球相当径を粒子径(代表径)とする平均粒子径に換算しているとも考え難い。そうすると、粒子径(代表径)について、等体積球相当径又はそれ以外の特定の定義によることが技術常識となっていたとは認められない。
以上のとおり、技術常識を踏まえて本件特許請求の範囲及び本件明細書の記載を検討しても、粒子径(代表径)を特定することはできない。』
『 以上のとおり、本件発明1の「平均粒子径」に係る粒子径(代表径)の定義が不明であるため、「平均粒子径は、0.5~2.0μmの範囲にあり」の意義を特定することができず、本件発明1の内容は不明確というべきである。』
[コメント]
本事件では、本件発明1の「平均粒子径は、0.5~2.0μmの範囲にあり」との値を有する粒子を特定できるか、すなわち本件発明1が明確であるかが争われた。裁判所は、『「平均粒子径」に係る粒子径の定義が不明であるため、「平均粒子径は、0.5~2.0μmの範囲にあり」の意義を特定することができず、本件発明1の内容は不明確である』と判断した。
本事件と同じように、粒子径で明確性要件が問題となった過去の事件として、「遠赤外線放射体」事件(平成20年(ネ)第10013号)がある。「遠赤外線放射体」事件では、『本件発明の「平均粒子径10μm以下」という文言について、その意義を理解することができず、本件特許は、特許法にいう明確性の要件を満たしていないというほかない。』と判断された。このように、粒子径を発明特定事項に含む発明では明確性要件が問題となりやすい。
本事件や「遠赤外線放射体」事件では、粒子径の定義に関して測定方法が特に問題となったものの、測定方法に限らず、測定条件や試料の調製方法によっても値が変わり得ることがあると思われ、これによって明確性要件の問題が出てくることもあり得るため、このことにも実務者は注意を払う必要があると考える。
以上
(担当弁理士:森本 宜延)

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