審決取消請求事件 » 平成28年(行ケ)第10064号「ポリビニルアルコール系重合体フィルム」事件

名称:「ポリビニルアルコール系重合体フィルム」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成28年(行ケ)第10064号 判決日:平成29年6月29日
判決:審決取消
特許法36条6項1号
キーワード:サポート要件、機序(課題が発生する機序、課題が解決される機序)が認識できるか
判決文:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/905/086905_hanrei.pdf

[概要]
常温長期保管時の黄変の抑制という本件発明の課題について、黄変の機序、及び、黄変の抑制の機序を特定、認識することができないから、実施例以外のノニオン系界面活性剤を特定量含有し、pHを特定範囲内とすることにより、本件発明の課題が解決できることを認識することができるとは認められないとされ、サポート要件を満たさないとされた事例。

[事件の経緯]
被告は、特許第5638533号の特許権者である。
原告が、当該特許の請求項1~14に係る発明についての特許を無効とする無効審判(無効2015-800090号)を請求し、被告が訂正を請求したところ、特許庁が、請求不成立(特許維持)の審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を認容し、審決を取り消した。

[本願発明]
【請求項1】(下線は、訂正箇所を示す。)
ポリビニルアルコール系重合体(A)、および当該ポリビニルアルコール系重合体(A)100質量部に対してノニオン系界面活性剤(B)を0.001~1質量部含むポリビニルアルコール系重合体フィルムであって、水に7質量%の濃度で溶解させた際の20℃におけるpHが2.0~6.8であるポリビニルアルコール系重合体フィルム。

[審決の概要]
ア 本件訂正発明1に係るサポート要件の充足の有無について
(ア)本件訂正明細書には、本件訂正発明1の必須の構成要件であるポリビニルアルコール系重合体(A)とノニオン系界面活性剤(B)のみからなるポリビニルアルコール系重合体フィルムの実施例の記載はないが、当該必須の構成要件以外の成分を含むポリビニルアルコール系重合体フィルムについても、本件訂正発明1のポリビニルアルコール系重合体フィルムといえるから、実施例1~7、10は、全て本件訂正発明1の実施例といえる。
したがって、請求人ら(原告ら)の主張する実施例がないことに基づく無効理由2は、失当である。
(イ)本件訂正明細書の【0003】、【0020】、【0021】によると、本件訂正発明1におけるノニオン系界面活性剤として多数のノニオン系界面活性剤を選択可能であり、また、「ノニオン系」という一群の界面活性剤は、ノニオン性であり、かつ、界面活性作用がある点で技術的特徴が共通するものであって、その性質も類似していると認められる。
また、請求人ら(原告ら)により、ノニオン系界面活性剤であっても本件訂正発明1の課題を解決できないものがあるとする具体的な根拠も何ら示されていない。
そうすると、本件訂正明細書の記載において、ノニオン系界面活性剤として特定の1化合物を利用した実施例しか記載されていないとしても、当業者は、本件訂正発明1は、「界面活性剤を配合して製造されたPVA系重合体フィルムをロール状に巻いて、これを常温近辺に温度コントロールした倉庫内に数ヶ月間程度保管した時に、ロールの色が著しく黄色味を帯びる問題」を解決することを課題としていることが理解でき、「ポリビニルアルコール系重合体(A)、および当該ポリビニルアルコール系重合体(A)100質量部に対してノニオン系界面活性剤(B)を0.001~1質量部含むポリビニルアルコール系重合体フィルム」において、「水に7質量%の濃度で溶解させた際の20℃におけるpHが2.0~6.8である」ことを満足することで、前記課題が解決されることが理解できる。

[主な取消事由]
取消事由1(サポート要件の判断の誤り)

[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋、下線)
『本件訂正発明1の課題が、常温長期保管時の黄変を抑制し得るPVA系重合体フィルムの提供にあることから、まず、常温長期保管時の黄変の機序について検討すると、本件訂正明細書には、「・・・長期保管時のフィルムの黄変を抑制する上で重要である。上記のpHが2.0未満の場合には、PVA系重合体自体の劣化によるものと思われる黄変が生じやすくなる。」という記載(【0025】)はあるものの、これが常温長期保管時の黄変の趣旨であるか、強酸性であることを原因とする別の機序による黄変の趣旨であるかは必ずしも明らかでない上、前者の常温長期保管時の黄変の趣旨であるとしても、「PVA系重合体自体の劣化」が具体的にどのような機序を指すものであるかは、明らかでない。
また、本件訂正明細書には、界面活性剤の添加が常温長期保管時の黄変の原因であることをうかがわせる記載(【0005】)があり、「ノニオン系界面活性剤(B)」を添加していない比較例1の80℃短期保管試験の黄変度(ΔYI)の数値が、「ノニオン系界面活性剤(B)」を添加したその余の実施例1~7、比較参考例1、2、比較例2、3、5に比し、著しく良好であること(【表1】)も、これに沿うものということができるが、界面活性剤の添加が常温長期保管時の黄変をもたらすに至る機序についての記載はない。本件訂正明細書には、「酸化防止剤(D)を含むと、理由は定かではないが、黄変の抑制効果をより長期間にわたって持続させることができる。」という記載(【0031】)があるものの、①「酸化防止剤(D)」を含まないことのみが実施例1と相違する実施例6の80℃短期保管試験の黄変度(ΔYI)の数値は、3日後及び5日後においては実施例1とほぼ同じであり、10日後に至って初めて実施例1よりも顕著に黄変が見られたこと(【表1】)、②実施例1(実施例10)及び比較例3(比較例6)において、80℃短期保管試験における3日後や5日後の黄変度(ΔYI)は、30℃長期保管試験における6か月後の黄変度(ΔYI)よりも黄変が進行していることを示していることを併せて考慮すると、30℃で6か月(又はそれを超える一定期間)保管した場合の黄変度(ΔYI)が、酸化防止作用を有する酸化防止剤の添加の有無にかかわらず、ほぼ同じである可能性が高いから、常温長期保管時の黄変の軽減が酸化防止剤による酸化の抑制を原因とするものかどうかは、本件訂正明細書の記載からは明らかでないというほかない。したがって、本件訂正明細書の記載のみによって、常温長期保管時の黄変の機序を界面活性剤の酸化と認識することはできないものと認められる。
本件訂正明細書には、「保管時の温度が高くなるほど黄変しやすくなる傾向がある」という記載(【0042】)もあるが、この記載を踏まえても、同様であり、上記判断は左右されない。
そうすると、本件訂正明細書の記載のみによって、常温長期保管時の黄変の機序を特定することはできないというべきである。
エ 本件訂正明細書には、常温長期保管時の黄変の抑制の機序に関し、前記ウで引用の記載のほか、「本発明の重合体フィルムは、水に7質量%の濃度で溶解させた際の20℃におけるpH(得られる水溶液のpH)が2.0~6.8の範囲内にあることが、長期保管時のフィルムの黄変を抑制する上で重要である。」という記載(【0025】)があるが、これらを総合しても、常温長期保管時の黄変の抑制の機序は、明らかではない。
したがって、本件訂正明細書の記載のみによって、常温長期保管時の黄変の抑制の機序を特定することはできないというべきである。
オ そこで、本件訂正明細書の記載に加え、本件出願日当時の技術常識に照らし、当業者が常温長期保管時の黄変の機序を認識することができるかについて検討する。
証拠(乙4の1~4)によると、本件出願日当時、界面活性剤は、その種類を問わず、空気中の酸素によって酸化することがあることは、技術常識となっていたものと認められる。しかしながら、前記ウのとおり、酸化防止剤の添加の有無のみが異なる実施例1と実施例6の80℃短期保管試験の黄変度(ΔYI)の数値が3日後及び5日後はほぼ同じであり、他に常温長期保管時の黄変の機序を認めるに足りる証拠がないことからすると、上記の界面活性剤が酸化することがあるという技術常識を踏まえても、常温長期保管時の黄変の機序がノニオン系界面活性剤の酸化であると直ちに特定し得るものとは認められない。
また、仮に常温長期保管時の黄変の機序がノニオン系界面活性剤の酸化であると認識したとしても、そのような常温長期保管時の黄変が、ノニオン系界面活性剤の含有量の数値範囲を「0.001~1質量部」とし、PVA系重合体フィルムのpHの数値範囲を「2.0~6.8」とすることにより抑制される機序について、当業者が認識し得ることを認めるに足りる証拠はない。
カ 前記1(1)カ(イ)のとおり、本件訂正発明1における「ノニオン系界面活性剤(B)」には、アルキルエーテル型、アルキルフェニルエーテル型、アルキルエステル型、アルキルアミン型、アルキルアミド型、ポリプロピレングリコールエーテル型、アルカノールアミド型、アリルフェニルエーテル型などのものが含まれるところ(【0020】)、証拠(甲42~44、乙4の3)によると、ノニオン系界面活性剤の種類を問わず、酸化反応の反応性が一様であるとはいえないし、前記1(1)カ(イ)のとおり、本件訂正発明1の「ノニオン系界面活性剤(B)」は、学術上のノニオン系界面活性剤に加え、その原料、触媒、溶媒、分解物などを含む混合物を含み(【0022】)、「ノニオン系界面活性剤(B)」の酸化反応の反応性は更に多様であると考えられる。
キ 以上のオ、カで述べたところからすると、当業者が、界面活性剤として本件ラウリン酸ジエタノールアミド混合物を採用し、ノニオン系界面活性剤の含有量の数値範囲を「0.3質量部」とし、PVA系重合体フィルムのpHの数値範囲を「3.6~6.2」とした実施例において、30℃長期保管試験及び80℃短期保管試験において、黄変の抑制効果が得られたことが開示されていることに接した場合、本件訂正発明1の「ノニオン系界面活性剤(B)」であれば、その種類を問わず、ノニオン系界面活性剤の含有量の数値範囲を「0.001~1質量部」とし、PVA系重合体フィルムのpHの数値範囲を「2.0~6.8」とすることにより、常温長期保管時の黄変を抑制し得るPVA系重合体フィルムを提供するという本件訂正発明1の課題が解決できることを認識することができるとは認められない。』
『ク 審決は、本件ラウリン酸ジエタノールアミド混合物による実施例の開示のみによって、請求項で「ノニオン系界面活性剤(B)」への上位概念化をしてもサポート要件に適合する理由として、「ノニオン系」という一群の界面活性剤が、ノニオン性であり、界面活性作用がある点で技術的特徴が共通し、その性質も類似することを主たる理由とするが、前記オのとおり、常温長期保管時における黄変の機序やその抑制の機序が明らかでない以上、ノニオン系界面活性剤に共通するノニオン性であり、界面活性作用があるという技術的特徴と、それに起因する性質の類似性が、本件訂正発明1の課題解決にどのように関連するかは不明であるといわざるを得ないから、実施例の拡張又は一般化がサポート要件に適合する理由付けとして不十分というほかない。したがって、ノニオン系界面活性剤が、ノニオン性であり、界面活性作用がある点で技術的特徴が共通し、その性質も類似するという審決指摘の点は、本件訂正発明1が特許法36条6項1号所定のサポート要件に適合することの理由となるものではなく、本件訂正発明1がサポート要件に適合しない旨の判断を左右するものではない。』

[コメント]
本判決では、黄変の抑制が本件発明の課題であるものの、黄変の機序や黄変の抑制の機序を特定、認識することができないから、実施例の特定の組み合わせについては黄変の抑制効果が示されているものの、請求の範囲全体にまで課題解決ができると認識できないとされた。
実施例で効果を確認したものを、請求項の範囲まで拡張するには、それなりの理由(当業者が課題解決できると認識できる程度の理由)が必要となる。
本件明細書には、黄変の抑制が課題であり、pHを特定の範囲内とすることにより黄変が抑制されたという実施例を開示しており、明細書全体としてそれなりに課題とその解決手段が記載されている。しかしながら、特許明細書は、技術を開示する一面を有しており、特許を請求する以上、その技術を具体的に説明するべきであり、黄変というのであれば、なぜ黄変が生じるのかを技術的に説明し、その原因をどのような技術によって解決したのかを本来、説明すべきである。裁判所は、技術的に、たしかに、実施例の記載から請求の範囲にまで拡張できると理解できるように、技術(機序)を明細書に充分に記載するように警鐘を鳴らしているように感じられた。
特に、判決文の79ページ18~26行目には、明細書の段落[0025]の記載、すなわち、「・・・長期保管時のフィルムの黄変を抑制する上で重要である。上記のpHが2.0未満の場合には、PVA系重合体自体の劣化によるものと思われる黄変が生じやすくなる。」との記載を取り上げ、「これが常温長期保管時の黄変の趣旨であるか、強酸性であることを原因とする別の機序による黄変の趣旨であるかは必ずしも明らかでない」、「前者の常温長期保管時の黄変の趣旨であるとしても、「PVA系重合体自体の劣化」が具体的にどのような機序を指すものであるかは、明らかでない。」と述べている点が印象的である。つまり、表面上は、黄変について述べているものの、技術的にどのように黄変を抑制しているのか理解できないと述べているといえる。
本件明細書には、「界面活性剤(B)は、・・・界面活性剤(B)を含む混合物の形態で使用することが好ましい。・・・当該混合物が含む界面活性剤(B)以外の成分に特に制限はないが、例えば、界面活性剤(B)を製造する際に使用した原料、触媒、溶媒;界面活性剤(B)が分解して生じた分解物;界面活性剤(B)の安定性を向上させるために添加される安定剤などが挙げられ、より具体的には、界面活性剤(B)がアルカノールアミド型のノニオン系界面活性剤である場合に、対応するアルカノールアミンが挙げられる。」(段落[0022])との記載があり、実施例でも、「界面活性剤を含む混合物(ラウリン酸ジエタノールアミドを95質量%の割合で含有し、且つジエタノールアミンを不純物として含む混合物」(段落[0047])しか試験されていない。この記載からすると、実は、黄変は、アルカノールアミンが原因であり、pHを2-6.8にすることにより抑制しているのかもしれない(出願人もそれを把握していたかもしれない)。それを分かった上で出願戦略として、界面活性剤がアルカノールアミンを含まない態様も権利範囲とすべく、課題をぼかして記載した結果、論理破綻が生じてしまった可能性があるのではないかとも考えられる。
判決文からはそれ以上のことは見えてこないが、特許明細書には、技術的に正確で理解しやすい詳しい説明が求められるといえる。その意味で特許明細書作成者(弁理士)には、技術に対する理解度、発明者に対するインタビュー能力、明細書全体で論理が破綻しない明細書作成能力等が要求されると考える。
以上
(担当弁理士:奥田 茂樹)