審決取消請求事件 » 平成27年(行ケ)第10261号「非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲット」事件

名称:「非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲット」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成27年(行ケ)第10261号 判決日:平成28年12月21日
判決:一部審決取消
特許法36条6項1号、134条の2第9項、126条5項
キーワード:新規事項の追加、サポート要件、メカニズム

[概要]
本件訂正事項は本件明細書に明示的に記載された事項ないし自明な事項であり、本件訂正は新たな技術的事項を導入しないものであるとして、本件訂正が新たな技術的事項を導入するとした審決の判断が誤りであるとされた事例。
本件訂正発明(請求項4に係る発明を除く)は発明の詳細な説明に記載したものであるとはいえず、かつ、「本件訂正発明はメカニズムの記載から当業者が本件訂正発明の課題を解決できると認識できる範囲のものである」という原告の主張も採用できないとして、特許請求の範囲(請求項4を除く)の記載がサポート要件を満たさないとした審決の判断が維持された事例。

[事件の経緯]
原告は、特許第4673448号の特許権者である。
被告が、当該特許の請求項1~8に係る発明についての特許を無効とする無効審判(無効2014-800158号)を請求し、原告が訂正を請求したところ、特許庁が、本件訂正の請求を認めず、当該特許を無効とする審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求のうち、請求項4に係る部分の請求のみを認容し審決を取り消したが、その余の請求を棄却した。

[本件訂正発明](下線は、訂正箇所)
【請求項1(訂正後)】
Crが5mol%以上20mol%以下、残余がCoである合金と非磁性材粒子との混合体からなる焼結体スパッタリングターゲットであって、このターゲットの組織が、合金の中に前記非磁性材粒子が均一に微細分散した相(A)と、前記相(A)の中に、ターゲット中に占める体積の比率が4%以上40%以下であり、長軸と短軸の差が0~50%である球形の合金相(B)とを有し、/前記球形の合金相(B)はCo濃度の高い領域と低い領域及びCr濃度の高い領域と低い領域をそれぞれ有している/ことを特徴とする非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲット。
※「/」は、原文の改行部分を示す。

【請求項4】
球形の合金相(B)は、中心部がCr25mol%以上であって、中心部から外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成の合金相を形成していることを特徴とする請求項1~3のいずれか一項に記載の非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲット。

[本件審決]
本件審決では、ⅰ)合金相(B)のCr濃度の態様について、「中心付近にCrが濃縮し外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる」態様以外の態様は、本件明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術事項とすることはできず、本件訂正は、願書に添付した明細書等に記載した事項の範囲内においてしたものとはいえず、ⅱ)本件各発明は、合金相(B)が、Co-Cr合金であって、中心付近にCrが25mol%以上濃縮し、外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成であることが特定されていないから、サポート要件を満たしておらず、無効とすべきものであると判断された。

[取消事由]
(1)本件訂正が新規事項の追加に当たるとした判断の誤り(取消事由1)
(2)本件各発明のサポート要件に係る判断の誤り(取消事由2)
(3)本件各訂正発明のサポート要件に係る判断の誤り(取消事由3)

[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋、下線)
2 取消事由1(本件訂正が新規事項の追加に当たるとした判断の誤り)について
『(2)本件明細書の記載
上記のとおり、本件訂正は、いずれも球形の合金相(B)の組成のうちCrとCoの濃度分布について限定を付加するものである。
そして、本件明細書の【0016】には、「球形の合金相(B)には、少なからずCrの濃度が低い領域と高い領域が存在し」と、球形の合金相(B)の組成のうち、Crの濃度分布について「Cr濃度の高い領域と低い領域」があることが、明示的に記載されている。また、前記のとおり、請求項1ないし3における球形の合金相(B)は、いずれも組成としてCrとCoを含むものであるから、球形の合金相(B)の組成のうち、Coの濃度分布について、「Co濃度の高い領域と低い領域」があることも、本件明細書の上記記載から自明である。
(3)新たな技術的事項の導入の有無
前記のとおり、本件訂正は、特許請求の範囲に限定を付加するものであって、訂正事項1ないし3は、いずれも本件明細書に明示的に記載された事項ないし本件明細書の記載から自明な事項である。このような場合、本件訂正は、特段の事情のない限り、新たな技術的事項を導入しないものというべきであるところ、本件訂正前の特許請求の範囲や本件明細書に、球形の合金相(B)に含まれるCrとCoの濃度分布について、訂正事項1ないし3に矛盾する記載も見当たらない。
したがって、本件訂正は、本件明細書等に記載された範囲内においてするものであるということができる。
・・・(略)・・・
よって、本件訂正を認めなかった本件審決の判断は、誤りである。』
3 取消事由3(本件各訂正発明のサポート要件に係る判断の誤り)について
『エ 球形の合金相(B)について濃度変動の程度が小さい場合
・・・(略)・・・
例えば、Cr濃度について周囲から中心部に向かって低くなる濃度分布となるような球形の合金相(B)の場合を検討するに、かかる濃度分布とするためには、球形の合金相(B)について周囲から内部に向かってCrを拡散させる必要があるから、その製法は、球形の合金相(B)の原料粉末となる球形粉にはCrを含有させず、相(A)となる原料粉末中にCr粉末を含有させて混合粉を準備し、これを焼結することで、相(A)から、球形の合金相(B)にCrを拡散させることになる。しかし、相(A)のターゲット中に占める体積の比率は60~96%と、球形の合金相(B)に比べて大きいから、焼結前の相(A)中のCr濃度は比較的低いものとならざるを得ず、結果として、焼結によって金属元素同士の拡散が生じたとしても、球形の合金相(B)に生じるCrの濃度変動の程度は大きなものにはならず、そのような濃度分布によって漏洩磁束の向上を見込めるか否かについては不明である。このように、球形の合金相(B)の具体的組成の典型例として想定されるCr濃度が周囲から中心部に向かって低くなる濃度分布の場合に、本件各発明の課題を解決できるか否かは明らかではない。
・・・(略)・・・
オ まとめ
以上のとおり、①本件各訂正発明の構成要件である合金相(B)が球形であることは、「中心付近にCrが25mol%以上濃縮し、外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成の合金相」を形成するために求められているものと理解できること、②本件明細書の発明を実施するための形態に関する記載は、中心付近にCrが約25mol%以上濃縮し、外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成の合金相が形成されることを想定していること、③本件明細書に記載された実施例1ないし6、8及び9は、全て球形の合金相(B)について、「Crが25mol%以上濃縮されたCrリッチ相が中心付近に存在し、外周に近づくにつれてCrの濃度が低くなっている」ものであり、かつ、実施例7に記載された球形の合金相(B)も、下限値は不明であるもののCrが「濃縮されたCrリッチ相が中心付近に存在し、外周に近づくにつれてCrの濃度が低くなっている」ものであること、④球形の合金相(B)について、Crの濃度変動の程度が小さい場合に、漏洩磁束の向上という本件各訂正発明の課題を解決できるか否かは明らかではないことからすれば、Crの濃度変動があるだけで、その濃度変動の程度が何ら特定されていない球形の合金相(B)を含むターゲットは、当業者が本件各訂正発明の課題を解決できると認識できる範囲のものということはできない。
なお、本件明細書に記載された発明を実施するための形態も実施例も、いずれもCo-Cr合金である原料粉末を焼結するものであるが、本件明細書の【0018】の記載は、球形の合金相(B)の組成をCo-Cr合金に限定しておらず、また、「周囲の金属粉(Co粉、Pt粉など)との拡散が進みにくく」と記載されていることからすれば、球形の合金相(B)について、Ptなどが含まれる合金も想定されているものである。そうすると、当業者は、発明の課題を解決するに当たり、球形の合金相(B)が、「Co-Cr合金」であることまで必要であると認識するということはできない。
(3)原告の主張について
ア 第1のメカニズム(【0016】)及び第2のメカニズム(【0017】)原告は、球形の合金相(B)内において濃度変動が存在し、球形の合金相(B)と相(A)との組成が異なることが明らかになった本件各訂正発明は、第1のメカニズムに関する記載(【0016】)及び第2のメカニズムに関する記載(【0017】)により、当業者が発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであると主張する。
確かに、本件明細書の【0016】及び【0017】に記載された第1及び第2のメカニズムによれば、定性的には、球形の合金相(B)中にCrの濃度が低い領域と高い領域の存在により生じた濃度変動があれば(第1のメカニズム)、あるいは、球形の合金相(B)中に析出物としてCrが存在すれば(第2のメカニズム)、ターゲットの透磁率は低くなると解することは可能である。
しかし、第1のメカニズムについては、ターゲットの透磁率を低くするために必要な格子歪みを発生させるためには、Crの濃度について「濃度変動の大きな場所」の存在が必要とされており、単にCrの濃度変動があれば足りると解することまではできない。そして、【0016】の記載からでは、定量的に、第1のメカニズムに関し、どの程度のCrの濃度変動を有する場所が、ターゲットの透磁率を低くするために必要な程度の「格子歪み」を発生させる「濃度変動の大きな場所」に該当するのかについて明らかではない。
また、第2のメカニズムについても「Cr濃度の高い領域」が必要とされており、Cr濃度が一定程度以上であることが求められており、単に析出物としてCrがあれば足りると解することまではできない。そして、【0017】の記載からでは、定量的に、どの程度のCr濃度であれば「Cr濃度の高い領域」に該当するのかについて明らかではない。
そうすると、球形の合金相(B)の存在により、第1のメカニズム及び第2のメカニズムによってターゲットの透磁率が低くなるとしても、当業者は、球形の合金相(B)のCrの濃度変動の程度を一切考慮せずに、球形の合金相(B)が存在するだけで、漏洩磁束が高められると認識するまでは至らないから、Crの濃度変動があるだけで、その濃度変動の程度が何ら特定されていない球形の合金相(B)を含むターゲットは、当業者が本件各訂正発明の課題を解決できると認識できる範囲のものということはできない。
・・・(略)・・・
したがって、本件訂正発明1ないし3に係る請求項1ないし3の記載は、サポート要件を満たしているとはいえないから、請求項1ないし3に係る発明についての本件審決の判断に誤りはない。
一方、特許請求の範囲請求項4に記載された本件訂正発明4は、「中心付近にCrが25mol%以上濃縮し、外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成」を有する球形の合金相(B)である点を特定しているから、本件訂正発明4は、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるといえる。したがって、本件訂正発明4に係る請求項4の記載は、サポート要件を満たしているから、請求項4に係る発明についての本件審決の判断は誤りである。』
以上より、本件訂正を認めなかった本件審決の判断は誤りであり、原告の請求は、本件審決のうち、請求項4に係る部分の取消しを求める部分は、理由があるから認容され、その他の部分は、理由がないから棄却された。

[コメント]
訂正事項(請求項の下線部)に関して、審決では、具体的な態様(Cr濃度:中心部>外周部)の記載しかなく、新規事項の追加に該当すると判断されていたが、判決では、Crの濃度分布は本件明細書に明示的に記載されており、Coの濃度分布は自明であることから、新規事項の追加に該当しないと判断された。新規事項の追加に該当しないとの判断は、訂正事項が本件明細書に明示的に記載された事項ないし自明な事項であることから、妥当な判断といえる。
次に、サポート要件に関して、審決、判決ともに、本件訂正発明(ただし判決では請求項4を除いている)は、Cr濃度変動の程度が特定されておらず、サポート要件を満たさないと判断された。原告は、メカニズムの記載を根拠に、具体的な態様(Cr濃度:中心部>外周部)だけではなく、例えば、逆の濃度分布(Cr濃度:中心部<外周部)を想定した場合であっても、当業者であれば、格子歪みが生じて、漏洩磁束が高められると認識できるため、当業者が発明の課題を解決できると認識できる範囲内であると主張していたが、判決では、明細書の記載からは逆の濃度分布の態様を認識できる範囲内かどうかが不明であるとして無効審決が維持された。
一方、判決では、請求項4に関しては、Cr濃度変動の程度が特定されており、課題を解決できると認識できる範囲内であり、さらに明細書の記載から合金相(B)はPt等を含む合金も想定しており、合金相(B)の組成まで限定する必要もないとして、サポート要件を満たすとして無効審決が取り消された。
なお、本件特許権(請求項2、5、6、8のみ)に基づく特許権侵害差止請求控訴事件(平成28年(ネ)第10010号、原審・東京地方裁判所平成25年(ワ)第3357号)も係属していたが、技術的範囲に属するものではなく、さらに本件判決と同様に、サポート要件を満たさず無効にされるべきものであるとして、本件判決と同日に請求は棄却されている。
以上
(担当弁理士:堺 恭子)