審決取消請求事件 » 平成27年(行ケ)10054号「気道流路および肺疾患の処置のためのモメタゾンフロエート」事件

名称:「気道流路および肺疾患の処置のためのモメタゾンフロエート」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成27年(行ケ)10054号  判決日:平成28年3月30日
判決:審決取消
特許法29条2項
キーワード:進歩性、有利な効果、明細書に記載されていない効果

[概要]
投与方法に特徴を有する本件発明について治療効果や副作用の低さに関して一定の効果は認められるとしても、引用発明の効果との相違や、効果の程度の比較が示されていない以上は、進歩性を肯定するに足りる顕著な効果を認定できないと判断された事例。

[事件の経緯]
被告は、特許第3480736号の特許権者である。
原告が、当該特許の請求項1ないし3に係る発明についての特許を無効とする無効審判(無効2014-800055号)を請求し、特許庁が、請求不成立(特許維持)の審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を認容し、審決を取り消した。

[本件発明1]
モメタゾンフロエートの水性懸濁液を含有する薬剤であって、1日1回鼻腔内に投与される、アレルギー性または季節性アレルギー性鼻炎の治療のための薬剤。

[取消事由]
1 取消事由1(本件効果1についての判断誤り)
2 取消事由2(本件効果2についての判断誤り)

[審決で認定された本件効果]
アレルギー性鼻炎に対して、1日1回のモメタゾンフロエート投与で、効果的に処置できること(本件効果1)
モメタゾンフロエートの血流中への全身的な吸収が実質的に存在しないことにより、所望しない全身性副作用を防げること(本件効果2)

[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋、下線)
『引用発明と比較した本件発明の有利な効果が、当業者の技術水準から予測される範囲を超えた顕著なものと認められる場合は、本件発明の容易想到性が否定され、その結果、進歩性が肯定されるべきである。・・・(略)・・・
本件発明における有利な効果として認められるためには、当該効果が明細書に記載されているか、あるいは、当業者が、明細書の記載に当業者が技術常識を当てはめれば読み取ることができるものであることが必要である。』
『(5) 本件発明の効果との対比
ア アレルギー性鼻炎に対する治療効果
上記のとおり、本件明細書には、本件発明に関し、水性懸濁液の投与とこれ以外の他の形態(例えば、溶液)で投与した場合との対比や、1日1回の鼻腔内投与とこの投与回数及び形態を変えた場合との対比はなされておらず、単にプラセボとの対比による効果の有無しか記載がない。そして、本件優先日当時の技術常識を踏まえると、水に難溶性の薬物の水性懸濁液は、他の溶媒を用いた溶液よりも、粘膜から吸収されにくいということはできるが、それだけでは、治療効果の具体的な違いは把握できないし、また、他の形態で投与した場合や異なる投与回数の場合の治療効果がどの程度であったかを読み取ることも、困難である。
他方、甲1発明及び甲2発明においても、アレルギー性鼻炎に対する一定の治療効果が期待されることは上記のとおりである。
そうすると、本件明細書の記載からは、甲1発明や甲2発明よりも、本件発明1が、治療効果の点で優れているかどうかを理解することは困難といわざるを得ない。
イ 全身的な吸収及び代謝
本件明細書には、本件発明に関し、経口溶液と比して、鼻腔スプレー懸濁液の方が、モメタゾンフロエートの全身的な吸収が低く、モメタゾンフロエート自体が血漿中で定量限界以下しか存在しないという効果があることが記載されているが、経口懸濁液と同程度の効果があることの記載しかない。そして、技術常識を踏まえても、他の形態で投与した場合(例えば、溶液の形態での鼻腔内投与)や異なる投与回数の場合の全身的な吸収及び代謝がどの程度であったかを推認することは困難である。
他方、甲1発明において、腹腔内投与及び経口投与後のモメタゾンフロエートの血漿中の量は高くなく、比較的短期間で消失することは理解できるが、鼻腔内投与の場合における全身的な吸収及び代謝の程度は全く不明といわざるを得ない。甲2発明は、水性懸濁液を鼻腔内に使用した発明であるが、本件優先日において、少なくとも、鼻腔内投与の場合にモメタゾンフロエートの全身的な吸収や代謝後の残存が常に高いという技術常識はない。
そうすると、本件明細書の記載からは、甲1発明や甲2発明よりも、本件発明1が、全身的な吸収及び代謝の点で優れているかどうかを理解することはできないといわざるを得ない。
ウ 全身性副作用
本件明細書には、本件発明に関し、プラセボとの対比において、HPA機能抑制に起因する全身性副作用がないことが記載されているだけで、他の形態(例えば、溶液)で投与した場合との対比や、投与回数を変えた場合との対比はなされていない。そして、当事者の技術常識を踏まえても、他の形態で投与した場合や異なる投与回数の場合の副作用がどの程度であったかを読み取ることは困難である。
他方、前記(2)及び(3)のとおり、甲1発明及び甲2発明において、モメタゾンフロエートは、経口吸入及び鼻腔内吸入をしても、実用可能な程度の副作用しかないといえるし、本件優先日において、少なくとも、モメタゾンフロエートの全身的な吸収が必ず高いという技術常識はない。
そうすると、本件明細書の記載からは、甲1発明や甲2発明よりも、本件発明が、全身性副作用の点で優れているかどうかを理解することはできないといわざるを得ない。
エ 以上によれば、本件発明には、薬としての一定の治療効果を有し、実用可能な程度の副作用しかないことは認められるとしても、本件発明の当該効果が、甲1発明及び甲2発明の効果とは相違する効果であるということはできないし、また、本件明細書上、それらの効果とどの程度異なるのかを読み取ることができない以上、これをもって、当業者が引用発明から予測する範囲を超えた顕著な効果ということもできない。よって、この点に関する審決の判断には誤りがある。
オ 審決は、甲1及び甲2には、1日1回の投与の記載がなく、治療効果の程度についての記載もなく、本件発明の治療効果を予測できないと判断した。しかしながら、甲1発明及び甲2発明において、一定の治療効果が認められながらその程度についての記載がない以上、当該効果が本件発明の効果よりも明らかに劣るものと認められない限り、本件発明の効果が顕著なものであるとはいえないはずである。審決は、甲1及び甲2の治療効果の程度についての認定をせずに、本件発明の効果がこれを格別上回ると判断したものであって、論理的に誤りがあるといわざるを得ない。
また、審決は、皮膚に適用した場合の全身性副作用について開示する甲1から、鼻腔粘膜に投与された際の全身性副作用の大きさを予測できないと判断したが、本件発明の効果と甲1発明の効果を同質であると認めた以上、甲1発明において、鼻腔粘膜に投与した際の全身性副作用の方が、皮膚に投与した際と比して常に優れたものといえない限り、本件発明の効果が顕著なものとはいえないはずであり、この点についても、審決に論理的な誤りがあるといわざるを得ない。』
『イ 被告は、甲1には、モメタゾンフロエートのアレルギー性鼻炎に対する治療効果の程度(強度及び持続性等)については記載がなく、当業者は、本件発明が大人と小児の両方について安全に処置できることについては予測できず、さらに、甲1には、鼻腔投与されるモメタゾンフロエートの懸濁液についての代謝、薬物動態、毒物動態については開示されておらず、鼻腔投与されるモメタゾンフロエートの懸濁液の全身性バイオアベイラビリティや副作用の程度についても知ることはできないと主張する。
まず、上記の主張のうち、本件発明の小児に対する効果は、本件明細書に基づかない主張であるから、失当である。』
『3 結語
以上のとおり、審決の顕著な効果の判断の誤りがある。
なお、当裁判所は、本件訴訟において、相違点に係る構成の容易想到性について、審理、判断するものではないところ、本件特許のような、十分な治療効果を有しながら副作用がわずか(又は生じない)とされる実用可能な「薬剤」の特許発明に関しては、その特許無効審判においても、治療効果の維持と副作用の減少(又は不発生)の両立という観点から審理、判断されることが望ましく、例えば、複数ある相違点のうち個々の相違点に限っては想到できるとしても、これらを総合した全体の構成が当該薬剤としての効果等を維持できるものであるか否かが重要であるから、本件審判手続においても、これらの点を念頭に置き、本件訴訟で主張、立証されたものを含め、相違点に係る構成について改めて慎重に審理、判断すべきものといえる。』

[コメント]
1.裁判所は、本件明細書の記載から、本願発明が薬としての一定の治療効果を有し、実用可能な程度の副作用しかないことは認められるとしても、引用発明との効果の差の存否やその程度が明らかではないため、効果の相違や顕著性を認めることはできないと判断した。従来技術等の比較例との対比は、原則的には出願時に十分な検討を行い、明細書に記載しておくことが望ましい。しかしながら、本件のように、出願後に同質の効果の程度の差違を主張する場合には、引用発明との対比試験を実施して提出しつつ、顕著な効果の主張を行うことが有効である。
本判決は、審決が示した顕著な効果の論理構成を否定するものであるが、結語において、個々の相違点に限っては想到できるとしても、これらを総合した全体の構成が薬剤としての効果等を維持できるものであるかとの視点から、相違点に係る構成について改めて慎重に審理すべきと付言されている点が興味深い。
2.効果の主張は、明細書に記載のある効果に基づいて進歩性の主張を行うことが原則である。審査基準では、(i)明細書に記載されている効果、(ii)明細書に明記されていないが、明細書又は図面の記載から当業者が推論できる効果の参酌は許されることが示されている。出願の検討段階において、将来的に挙げられる引用文献を全て予測し、効果を検証することは実際的ではなく、後々に明細書に明示されていない効果を主張する場合も起こり得る。このような場合、本願発明がその効果の非予測性又は顕著性等を示すことに加え、明細書の記載に当業者が技術常識を当てはめれば読み取ることができる効果であることを示す必要があるため、主張のハードルは高くなる。よって、将来的に本願発明と近い技術との対比が必要となることが予測される案件等では、出願段階において、発明の一側面を捉えた効果のみ検証するのではなく、多面的に捉えた効果の検証が重要となる。  以上
(担当弁理士:春名 真徳)