IP case studies判例研究

平成24年(行ケ)第10373号 「半導体装置および液晶モジュール」事件

名称 :「半導体装置および液晶モジュール」事件
審決取消請求事件(無効審決取消請求)
知財高裁:判決日25年9月30日、平成24年(行ケ)第10373号
判決 :請求認容
キーワード:容易想到性判断の誤り
[概要]
原出願日当時の技術水準に基づき,引用発明において本件発明1に係る構成を採用するこ
とにより,バリア層の溶出によるマイグレーションの発生を抑制する効果を奏することは,
予測し得なかったというべきであると判断し、本件発明1が容易想到であるとした審決の判
断には誤りがあるとして無効審決を取り消した事案である。
[本願発明の請求項1]
A)絶縁性を有するベースフィルム,該ベースフィルム上に形成されたニッケル-クロム合金
からなり厚みが7nm以上のバリア層,および該バリア層の上に形成された銅を含んだ導電
物からなると共に表面にスズメッキが施された配線層を有する半導体キャリア用フィルムと,
前記配線層に接続された突起電極を有する半導体素子とを備える半導体装置であって,
B)前記バリア層と前記配線層とを所定パターンに形成した半導体素子接合用配線が複数あり,
C)そのうちの少なくとも隣り合う二つの前記半導体素子接合用配線の間において、配線間距
離及び出力により定まる電界強度が3×10 5 ~2.7×10 6 V/mであり,
D)前記半導体素子接合用配線の配線間距離が50μm以下となる箇所を有し,
E)前記バリア層におけるクロム含有率を15~50重量%とすることにより,
F)前記バリア層の溶出によるマイグレーションを抑制することを特徴とする
G)半導体装置。
[審決取消事由](裁判所が判断した「予測できない効果」を示し他は省略。)
1、取消事由2
原告「オ:予測できない効果
本件発明1は,半導体装置が本件発明1の構成要件全てを有機一体的に具備することによ
り,端子間のマイグレーションの発生をなくし,高温高湿環境下であっても,従来より端子
間の絶縁抵抗が劣化しにくい半導体装置を提供するものである。これに対し,引用発明は,
支持基板と銅層との間に中間層をNiが5at%~80at%(クロム含有量を94~18
重量%)のNi-Cr合金層とすることによって,1000g/cmの高い密着強度を有し,
かつ1種類のエッチング溶液で配線パターンを形成することができるものである。このよう
に,本件発明1と引用発明とでは,その効果が異なる。また,引用発明は本件発明1の課題
を認識しておらず,各相違点に係る構成を具備していないので,本件発明1の効果を予測す
ることができない。よって,本件発明1は,引用発明に比べ,予測できない異質な効果を奏
する。」
被告「オ:予測できない効果に対して
引用発明に基づいて,本件発明1の構成を採用することは容易であり,その構成を備えれ
ば本件発明1の効果は得られるのであるから,本件発明1の効果は,容易に予測できる。」
[裁判所の判断]
裁判所は、相違点4に係る構成の技術的意義を以下の通り判断した。
「本件発明1は,高温高湿環境下であっても,マイグレーションの発生を抑制して,端子間
の絶縁抵抗を劣化しにくくすることにより,ファインピッチ化や高出力化に適用できる半導
体装置を提供することを課題とし,その課題解決手段として,ニッケル-クロム合金からな
るバリア層におけるクロム含有率を15~50重量%とすることとしたものであり,これに
よって,バリア層の表面抵抗率・体積抵抗率が向上して,バリア層を流れる電流が小さくな
り,配線層を形成する銅の腐食を抑制することができ,また,バリア層の表面電位が標準電
位に近くなり,バリア層を形成している成分の水分中への溶出を抑制することができ,マイ
グレーションの発生を抑制するとの効果を奏する。
これに対し,引用発明は,1種類のエッチング溶液で配線パターンを形成することができ,
さらに,中間層としてクロム層を介在させた場合と同等の密着強度を有するプリント配線基
板用の銅層(銅箔)を提供することを課題とし,その課題解決手段として,支持基板と銅層
との中間層にクロム層の代わりにCrを一定割合含有するNi-Cr合金層を用いた発明で
ある。また,甲2文献には,マイグレーションの発生の抑制に関する事項については,記載
及び示唆はない。」
次に、裁判所は、原出願日前に頒布された各刊行物について以下の通り判断した。
「平成15年に開催された,「モバイル用液晶モジュールにおけるCOF実装技術のファイ
ンピッチ/高信頼性化」に関するセミナーのテキスト(甲3) 上記文献には,モバイル
用液晶モジュールにおけるCOFにおいて,絶縁信頼性を維持する上でマイグレーションが
問題となることは記載されているが,その機序や発生抑制方法等に関しては記載も示唆もな
い。」
「平成15年に発行された雑誌に掲載された「プリント配線板の耐イオンマイグレーション
性に関する研究」と題する論文(甲6) 上記文献には,イオンマイグレーションの発生
メカニズムについて説明されており,イオンマイグレーション現象による絶縁劣化が電子機
器の信頼性低下を招いていることや,狭ピッチ配線ではイオンマイグレーションによる析出
物の成長速度が急激に加速されること,イオンマイグレーション抑制手法として吸湿防止の
ために樹脂コーティングを行うことは記載されているが,Ni-Cr接着層(バリア層)に
おけるクロム含有率を調整することによってマイグレーションの発生を抑制することができ
ることについては記載も示唆もない。」
「平成15年発行の雑誌に掲載された「TAB材料の現状と今後」と題する論文(甲7) 上
記文献には,スパッタ材では銅の下のニッケルやクロムのシード層を完全に除去できないこ
とがあり,特にファインピッチになるとその部分は残りやすく,マイグレーションの原因と
なることが記載されているが,高温高湿下において電位差の生じた隣り合う端子間に発生す
るマイグレーションに関しては,記載も示唆もない。」
「平成12年発行の「腐食・防食ハンドブック」(甲8) 上記文献には,マイグレーシ
ョンの発生メカニズム及びその防止技術について記載されているが,マイグレーション一般
について記載されたものであって,半導体キャリア用フィルムにおいて生じるマイグレーシ
ョンについての記載はない。また,上記文献には,ニッケル-クロム合金からなるバリア層
におけるクロム含有率を調整することによってマイグレーションの発生を抑制することがで
きることについては記載も示唆もない。」
「発明の名称を「マイグレーション防止方法」とする発明に係る特開平7-283525号
公報(甲11) 上記文献には,電子回路基板上のハンダ表面に,絶縁体で水に難溶な不
動態皮膜を形成することにより,マイグレーションの発生を防止することが記載されている
が,ニッケル-クロム合金からなるバリア層におけるクロム含有率を調整することによって
マイグレーションの発生を抑制することができることについては記載も示唆もない。」
「昭和48年発行の「ステンレス鋼便覧」(甲12) 上記文献には,一般的にCrが腐
食性に優れていることや,FeにCrを添加した場合の不動態化のことは記載されているが,
半導体キャリア用フィルムにおいて,ニッケル-クロム合金からなるバリア層におけるクロ
ム含有率を調整することによってマイグレーションの発生を抑制することができることにつ
いては記載も示唆もない。」
「昭和41年発行の「非鉄材料の選定と加工」と題する書籍(甲13) 上記文献には,
Ni-Cr合金はCrの含有量が15~50%のときに比抵抗が大きいことを示すグラフが
記載されている。しかし,上記文献には,半導体キャリア用フィルムにおけるマイグレーシ
ョンの発生防止方法に関する記載はなく,ニッケル-クロム合金からなるバリア層における
クロム含有率を15~50重量%とすることにより,マイグレーションの発生を抑制するこ
とができることについては記載も示唆もない。」
「平成11年発行の「金属の百科事典」(甲9)には,ニッケル-クロム合金に関する項に,
「NiにCrを添加していくと,①電気抵抗が急増するがその温度変化は小さい,②耐酸化
性・耐食性が向上する,③純Niに対する熱起電力が急増する,などの変化が起こる。」と
の記載がある。 平成13年発行の「岩波理化学辞典第5版」(甲10)の耐食合金の項に
は,耐食合金として,ニッケル合金ではニクロムがあることが,ニクロムの項には,高温で
も酸化されにくく,耐食性に富んでいることが記載されている。 平成8年(1996年)
発行の「イオンマイグレーションの試験方法ノウハウ集」(甲14)にはイオンマイグレー
ションの試験方法について記載されている。上記各文献には,半導体キャリア用フィルムに
おけるマイグレーションの発生防止方法に関する示唆はない。」
「原告の液晶用LSIカタログ(甲4),平成13年発行の雑誌「M&E」(甲5)にも,
マイグレーションに関する記載はない。」
上記認定に基づき、裁判所は以下の通り判断した。
「原出願日当時,当業者において,半導体キャリア用フィルムにおいて,端子間の絶縁抵抗
を維持するため,マイグレーションの発生を抑制する必要があると考えられていたこと,マ
イグレーションの発生を抑制するため,吸湿防止のための樹脂コーティングを行ったり,水
に難溶な不動態皮膜を形成したり,半導体キャリア用フィルムを高温高湿下におかないよう
にしたりする方法が採られていたことは認められる。しかし,原出願日当時,本件発明1の
ように,ニッケル-クロム合金からなるバリア層におけるクロム含有率を調整することによ
り,バリア層の表面抵抗率・体積抵抗率を向上させ,また,バリア層の表面電位を標準電位
に近くすることによって,マイグレーションの発生を抑制することについて記載した刊行物,
又はこれを示唆した刊行物は存在しない。そうすると,甲2文献に接した当業者は,原出願
日当時の技術水準に基づき,引用発明において本件発明1に係る構成を採用することにより,
バリア層の溶出によるマイグレーションの発生を抑制する効果を奏することは,予測し得な
かったというべきである。したがって,本件発明1が容易想到であるとした審決の判断には
誤りがある。」
また、被告の主張に対して以下の通り判断した。
「被告は,ニッケル-クロム合金層におけるマイグレーションの課題は周知ないしは技術課
題であり,また,バリア層の溶出成分がNiであることも周知であり,マイグレーションの
発生を抑制するために,バリア層としてクロムの含有量を高めた抵抗値の高いニッケル-ク
ロム層材料を選択するという技術事項も周知であったと主張する。しかし,上記認定のとお
り,原出願日当時,半導体キャリア用フィルムにおいてマイグレーションの問題があること
は,当業者に周知であったと認められるが,マイグレーションの発生を抑制するために,バ
リア層としてクロムの含有量を高めた抵抗値の高いニッケル-クロム層材料を選択するとい
う技術が周知であったと認めるに足りる証拠はない。したがって,上記のとおり,当業者が,
ニッケル-クロム合金からなるバリア層におけるクロム含有率を15~50重量%とするこ
とにより,マイグレーションの発生を抑制する効果を奏すると予測し得たとは認められな
い。」
[コメント]
裁判所は、引例および周知技術の認定を丁寧に行い、効果の予測可能性を否定している。
一方で、裁判所は原告主張の「本件発明の容易想到性の判断は,引用発明において相違点A
ないしCに係る構成の全てを一体として採用することが容易であるか否かについても判断す
る必要があるところ,甲2文献及び甲3ないし13には,引用発明において相違点Aないし
Cに係る構成の全てを同時に採用することについての動機付けも存在せず,この点において
も,本件発明1は,当業者が容易に想到できたものではない」との点について判決文に示さ
れていない。すなわち、裁判所は、相違点に係る構成を採用することには困難性がないとし
つつ、その効果は予測できない点を重視したと推測され、判決の結論は妥当であるが、上記
原告の主張に対する裁判所の判断が判決文に明確に示されていないことは残念である。

平成24年(行ケ)第10373号 「半導体装置および液晶モジュール」事件

PDFは
こちら

Contactお問合せ

メールでのお問合せ

お電話でのお問合せ