審決取消請求事件 » 平成24年(行ケ)第10435号 「窒化ガリウム系発光素子」事件

名称 : 「窒化ガリウム系発光素子」事件
無効審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成 24 年(行ケ)第 10435 号 判決日:平成 25 年 9 月 19 日
判決:請求認容(審決取消)
特許法29条2項
キーワード:一致点、相違点、主張立証

[概要]
審決における一致点、相違点の認定に誤りがあった上、当事者が双方とも容易想到性の有
無判断に至るすべての争点について主張立証を尽くしていないとして、審判の審理に差し戻
すのが相当であるとして審決が取り消された事例。

[特許請求の範囲](下線は筆者)
【請求項1】
ストライプ状の発光層の両端面に,光出射側鏡面と光反射側鏡面を持つ共振器構造を有す
る窒化ガリウム系発光素子において,
光出射側鏡面には,窒化ガリウムより低い屈折率を有する低反射膜が,該光出射側鏡面か
ら屈折率が順に低くなるように2層以上積層され,該光出射側鏡面に接した第1の低反射膜
が,ZrO2
,MgO,Al2O3,Si3N4,AlN及びMgF2から選ばれたいずれか1種から成り,
光反射側鏡面には,ZrO2,MgO,Si3N4,AlN及びMgF2から選ばれたいずれ
か1種からなる単一層の保護膜が接して形成され,かつ,該保護膜に接して,低屈折率層と
高屈折率層とを低屈折率層から積層して終端が高屈折率層となるように交互に積層してなる
高反射膜が形成されてなる窒化ガリウム系発光素子。

[審決の概要(抜粋)](下線は筆者)
刊行物1には,従来の窒化物半導体レーザ装置は,レーザ端面に設けた保護層と窒化物半
導体レーザダイオードとの間における格子不整合や熱膨張係数が異なること等に起因して,
特に高出力時の寿命が短いという問題があったが,保護層の材料を窒化物半導体レーザダイ
オードが発振する光に対して透明であるAl1-x-y-zGaxInyBzN(0≦x,y,z≦
1,且つ,0≦x+y+z≦1)との一般式から選択することで,窒化物半導体レーザダイ
オードと十分な格子整合及び熱膨張係数の整合をとることができ,レーザ装置の長寿命化と
熱応力による欠陥発生を抑制することのできる窒化物半導体レーザ装置が記載されているも
のと認められる。

すなわち,引用発明において,保護層の材料を一般式から選択する技術的意義は,単に,
レーザの発振光に対して透明になるようにするのみならず,保護層の格子定数とMQW活性
層の格子定数との差をMQW活性層の格子定数の約3%以下,保護層の熱膨張係数とMQW
活性層の熱膨張係数との差をMQW活性層の熱膨張係数の約20%以下とすることにあるも
のと解される。

しかるところ,刊行物1には,窒化物半導体レーザダイオードのMQW活性層と,格子整
合及び膨張係数の整合をとることのできる保護層として具体的に記載されているのは,実施
形態6において「半導体レーザダイオード10の後面に直接形成される保護層として,In
0.02Ga0.98N層を用いてもよい。」と記載されているほか,すべての実施形態において,保
護層として「GaN」が記載されているにとどまり,上記一般式から「AlN」を選択する
ことを示唆する記載は認められない。そして,「AlN」が,保護層の材料は,レーザの発振
光に対して充分に透明な材料であるのみならず,窒化物半導体レーザダイオードのMQW活
性層と,格子定数及び熱膨張係数の整合がとれる特性を備えた材料であることが,本件特許
の優先日当時の技術的常識であると認めるに足る証拠を見出せない。

よって,刊行物1の段落【0039】の記載を根拠に,MQW活性層と,格子定数及び熱
膨張係数の整合がとれる材料として,刊行物1に「AlN」が記載されていると直ちに認め
るに到らない。したがって,刊行物1に,保護層の材料として「AlN」が開示されている
と認めることはできない。

審決は、上記の認定に基づき、刊行物1との相違点を以下のように認定した。(下線部は筆
者)
【相違点1】
発光層の形状に関し,本件発明1は,「ストライプ状」であるのに対して,引用発明は,ス
トライプ状であるか否か不明である点。

【相違点2】
光出射側鏡面の膜に関し,本件発明1は,「窒化ガリウムより低い屈折率を有する低反射膜
が,該光出射側鏡面から屈折率が順に低くなるように2層以上積層され,該光出射側鏡面に
接した第1の低反射膜が,ZrO2,MgO,Al2O3,Si3N4,AlN及びMgF2
から選ばれたいずれか1種から成」るのに対して,引用発明は,窒化ガリウムより低い屈折率を
有する膜が,光出射側鏡面から屈折率が順に低くなるように2層以上積層されてはおらず,
GaN層である点。

【相違点3】
光反射側鏡面の単一層の保護膜の材料に関し,本件発明1は,「ZrO2,MgO,Si3N4
,AlN及びMgF2から選ばれたいずれか1種」であるのに対して,引用発明は,Ga
Nである点。

[原告の主張](下線は筆者)
刊行物1の【請求項1】には,保護層について「前記保護層は,前記窒化物レーザダイオ
ードが発振する光に対して透明であるAl1-x-y-zGaxInyBzN(0≦x,y,z≦1,
且つ,0≦x+y+z≦1)からなる」との一般式が記載されている。この式においてx=
y=z=0を代入した場合には,AlNとなるところ,AlNは,窒化物半導体レーザダイ
オードが発振する光に対して透明であるから,本件特許の請求項1に記載されている条件を
満たした保護層である。このように,刊行物1において保護層の組成として,AlNが開示
されていることは極めて明白である。そうすると,上記式の範囲内の組成から明らかに除外
されている組成の保護膜は,刊行物1に記載されていないと評価できるとしても,明らかに
除外されてはいない組成の保護膜が,刊行物1に記載されていないと認定するのは誤りであ
る。

段落【0042】,【0043】には,格子定数や熱膨張係数の整合性についての記載は,
好ましい態様として述べられているにすぎない。そうすると,引用発明は,「保護層の格子定
数とMQW活性層の格子定数との差をMQW活性層の格子定数の約3%以下,保護層の熱膨
張係数とMQW活性層の熱膨張係数との差をMQW活性層の熱膨張係数の約20%以下とす
ること」を必須の条件としているとはいえない。

具体的な実施形態として記載されていないという理由で,GaN以外が本件明細書に記載
されていないとする審決の論理には飛躍があり,審決が,保護層について「AlN」は開示
されておらず,「GaN」のみを認定したのは誤りである。

[裁判所の判断](下線並びに(1)等の項目数は筆者)
(1) 引用発明は,従来の窒化物半導体レーザ装置において,レーザダイオードの端面に
設けた保護層(SiO2又はTiO2)と窒化物半導体レーザダイオードとの間における格子
不整合や熱膨張係数が異なること等に起因して,結晶層中に格子欠陥を生じ,特に高出力時
の寿命が短くなるという課題を解決するために,保護層の材料を窒化物半導体レーザダイオ
ードが発振するレーザ光に対して透明である上記一般式から選択することで,窒化物半導体
レーザダイオードと格子定数及び熱膨張係数の整合をとることができ,格子不整合及び熱応
力による欠陥発生を抑制できるため,低出力時は勿論のこと,歪みや欠陥の影響が大きい高
出力発振時においても高信頼性で長寿命の窒化物半導体レーザ装置が得られるものであるこ
とが開示されている。他方で,審決が,引用発明の技術的意義であると認定した「保護層の
格子定数とMQW活性層の格子定数との差をMQW活性層の格子定数の約3%以下,保護層
の熱膨張係数とMQW活性層の熱膨張係数との差をMQW活性層の熱膨張係数の約20%以
下とすること」に関しては,上記段落【0042】,【0043】の記載に照らすと,いずれ
も上記の条件を満たすように「選択することが好ましい」と記載されていること,格子定数
の差に関して,段落【0042】のなお書には,「約3%を超える格子不整合があっても,寿
命が低下しない場合がある。」と記載されていることに照らすと,引用発明における上記条件
については,好ましい条件とされているにすぎず,必須の条件であると見ることはできない。

そして,刊行物1に示された従来の保護層(SiO2又はTiO2)がアモルファス層であ
り,結晶構造をとっていないのに対し,「Al1-x-y-zGaxInyBzN(0≦x,y,z≦
1,且つ,0≦x+y+z≦1)」の一般式で示されるものは,必ずNを含む窒化物系半導体
としての結晶構造を有することから,従来の保護層(SiO2又はTiO2)よりも窒化物半
導体レーザダイオードとの格子定数の整合がとれることは当業者に自明の事項である。また,
後記のとおり,熱膨張係数も窒化物系半導体と相当に異なるものであったことからすると,
従来の保護層との比較において,窒化物系半導体である保護層が熱膨張係数において,一般
的に整合がとれるものであることも,当業者に自明の事項である(段落【0024】参照)。

そうすると,上記のような引用発明における従来技術の問題点及び解決課題に,上記段落
【0011】,【0024】,【0026】,【0039】,【0040】の各記載を合わせて考慮
すれば,引用発明は,保護層の材料をレーザ光に対して透明であり,かつ,上記の一般式を
満たす材料を選択することで,従来の保護層(SiO2又はTiO2)よりも,窒化物半導体
レーザダイオードと格子定数及び熱膨張係数の整合をとることができるものであるといえる。

引用発明において,「保護層の材料をAl1-x-y-zGaxInyBzN(以下「一般式」とい
う。)から選択する技術的意義は,単に,レーザの発振光に対して透明になるようにするのみ
ならず,保護層の格子定数とMQW活性層の格子定数との差をMQW活性層の格子定数の約
3%以下,保護層の熱膨張係数とMQW活性層の熱膨張係数との差をMQW活性層の熱膨張
係数の約20%以下とすることにあるものと解される」とした審決の判断は誤りである。

(2) 刊行物1には,GaN及びIn0.02Ga0.98N層……は記載されているが,「Al
N」を保護層の材料として選択した実施例に関する記載はない。しかし,AlNがレーザ光
に対して透明であることは当事者間に争いがなく,上記一般式においてx=y=z=0を代
入した場合には,保護層の材料が「AlN」となることは明らかである。そして,段落【0
039】には,Alを含有した窒化物半導体材料を用いることが開示されており,刊行物1
中において,特段,x=y=z=0を代入することを阻む事情についての記載はない。

被告は,刊行物1に開示されているのは,上位概念としては,「Al1-x-y-zGaxInyBz
N」であり,より具体的な組成として開示されているのは,その下位概念である「GaN」
あるいは「InGaN(In0.02Ga0.98N)」のみであるところ,引用発明が上位概念で
表現されている場合,原則として,その下位概念で表現された発明が示されていることには
ならないことは明らかであり,一般式をもって,刊行物1にAlNという特定の組成が開示
されているとはいえないと主張する。しかし,刊行物1に記載された保護層は,Al,Ga,
In,Bの組合せにより組成される窒化物系半導体であって,その組成及び組成比を選択で
きるというものにすぎず,本件の一般式が上位概念に該当するとして,実施例に示された組
成物以外のものは不開示であると理解すべきという被告の主張が妥当する場面とは解されず,
被告の上記主張は採用の限りでない。

(3)以上を前提として,上記に認定した引用発明と本件発明1との一致点・相違点につい
て見ると,一致点及び相違点1については審決が認定したものと同一であるが,相違点2及
び3については以下のとおり認定すべきこととなる。(相違点2”,相違点3”:略)

【相違点2”】
光出射側鏡面の膜に関し,本件発明1は,「…(略:相違点2と同様)」に対して,引用発
明は,窒化ガリウムより低い屈折率を有する膜が,光出射側鏡面から屈折率が順に低くなる
ように2層以上積層されてはおらず,AlNを含むAl1-x-y-zGaxInyBzN(0≦x,
y,z≦1,且つ,0≦x+y+z≦1)からなる層である点。

【相違点3”】
光反射側鏡面の単一層の保護膜の材料に関し,本件発明1は,「…(略:相違点3と同様)」
であるのに対して,引用発明は,AlNを含むAl1-x-y-zGaxInyBzN(0≦x,y,
z≦1,且つ,0≦x+y+z≦1)である点。

(4) そうすると,相違点2”に関し,引用発明における保護層としてAlNを含むAl1-x-y-z
GaxInyBzN(0≦x,y,z≦1,且つ,0≦x+y+z≦1)からなる層」
の中から「AlN」を選択することについての容易想到性の有無,並びに保護層の材料とし
てAlNを選択したとして,それを積層すること及び光出射側鏡面から屈折率が順に低くな
るように2層以上積層することについての容易想到性の有無について検討し,同様に相違点
3”に関する本件発明1の構成についての容易想到性,さらには,相違点1に関する本件発
明1の構成についての容易想到性の有無を判断して,本件発明1が引用発明から容易に発明
することができたか否かの結論に至る必要がある。ここまで至って,引用発明を主たる公知
技術としたときの本件発明1の容易想到性を認めなかった審決の結論に誤りがあるか否かの
判断に至ることができる。

しかし,本件においては,審決が,認定した相違点1及び3に関する本件発明1の構成の
容易想到性について判断をしていないこともあって,当事者双方とも,この点の容易想到性
の有無を本件訴訟において主張立証してきていない。相違点2(当裁判所の認定では相違点
2”)に関する本件発明1の構成については,原告がその容易想到性を主張しているのに対し,
被告において具体的に反論していない。

このような主張立証の対応は,特許庁の審決の取消訴訟で一般によく行われてきた審理態
様に起因するものと理解されるので,当裁判所としては,当事者双方の主張立証が上記のよ
うにとどまっていることに伴って,主張立証責任の見地から,本件発明1の容易想到性の有
無についての結論を導くのは相当でなく,前記のとおりの引用発明の認定誤りが審決にあっ
たことをもって,少なくとも審決の結論に影響を及ぼす可能性があるとして,ここでまず審
決を取り消し,続いて検討すべき争点については審判の審理で行うべきものとするのが相当
と考える。本件のような態様の審決取消訴訟で審理されるのは,引用発明から当該発明が容
易に想到することができないとした審決の判断に誤りがあるか否かにあるから,その判断に
至るまでの個別の争点についてした審決の判断の当否にとどまらず,当事者双方とも容易想
到性の有無判断に至るすべての争点につき,それぞれの立場から主張立証を尽くす必要があ
る。本件については,上記のように考えて判決の結論を導いたが,これからの審決取消訴訟
においては,そのように主張立証が尽くすことが望まれる。

[コメント]
引用文献には明細書の実施例としては狭い内容が記載されている一方、請求項には広い内
容の記述がある場合に、当該請求項の記載が特許発明の進歩性判断の基礎とされることがあ
る。審決では、引用文献の明細書の記述に基づいて当該引用文献の記載を狭く解釈したが、
裁判所はその判断を退けた。その上で、審決において引用文献と本件特許発明との一致点、
相違点の判断に誤りがあるため、正しい認定に基づく容易想到性についての判断を行ってお
らず、当事者もその主張立証が十分になされていないとして、審判に差し戻された事案であ
る。

審決における一致点、相違点の認定に疑問点がある場合において、審決取消訴訟を提起す
る場合、単に一致点、相違点の認定に誤りがある旨の主張をするだけでなく、可能な限り、
正しく認定されるべき一致点と相違点を主張した上で、かかる相違点の下で判断したとして
も引用文献に基づいて当該発明は容易に想到し得たものではないという主張を併せて行うこ
とが好ましい。