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平成28年(行ケ)第10180号「ランフラットタイヤ」事件

名称:「ランフラットタイヤ」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成28年(行ケ)第10180号 判決日:平成29年7月11日
判決:請求棄却
特許法29条2項、36条6項1号、36条4項
キーワード:進歩性(相違点の判断)、特許請求の範囲の記載要件(サポート要件)、明細書の記載要件(実施可能要件)
判決文:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/907/086907_hanrei.pdf
[概要]
本件発明は、本件明細書の発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が本件発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであり、かつ本件明細書の発明の詳細な説明は、当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されていると判断された事例。
本件特許の原出願日当時、ランフラットタイヤの補強用ゴム組成物において、170℃から200℃までの動的貯蔵弾性率の変動に着目することを、当業者が容易に想到することができたということはできないため、主引用発明、およびこれらに他の副引用発明を組み合わせても本件発明は構成されないと判断された事例。
[事件の経緯]
被告は、特許第5361064号の特許権者である。
原告が、本件特許を無効とする無効審判(無効2015-800156号)を請求し、原告が訂正を請求したところ、特許庁が該訂正を認めた上で、本件審判の請求は、成り立たないとの審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を棄却した。
[本件発明]
【請求項1(訂正後)】
サイドウォール部がゴム補強層によって補強されているランフラットタイヤにおいて、前記ゴム補強層に、動的貯蔵弾性率の170℃から200℃までの変動が2.9MPa以下であり、天然ゴムを含むサイドウォール部補強用ゴム組成物を用いたことを特徴とするランフラットタイヤ。
[審決]
審決では、本件発明は、本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものであるため、サポート要件を満たしており、かつ本件明細書の発明の詳細な説明は、当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されたものであるため、実施可能要件を満たすと判断された。さらに審決では、本件発明は、引用発明1または引用発明4から、当業者が容易に発明することができたものではなく、また引用発明1または引用発明4に、引用発明2または引用発明3を適用することで、当業者が容易に発明をすることができたものではないと判断された。
[取消事由]
(1)サポート要件違反(取消事由1)
(2)実施可能要件違反(取消事由2)
(3)引用発明1に基づく進歩性判断の誤り(取消事由3)
(4)引用発明1及び引用発明2に基づく進歩性判断の誤り(取消事由4)
※取消事由5~7については省略する。
[原告の主張]
(取消事由1)
ランフラットタイヤのサイド補強層において考慮すべき物性の1つとして、「100%モジュラスが60kg/cm2以上であること」が必要であり、この値未満ではランフラット走行時にタイヤサイド部全体の歪が大きくなってタイヤの破壊が早くなる(引用例4、89頁)。したがって、ランフラットタイヤにおいて、100%モジュラスが低い場合、本件発明の数値範囲を満たしていても、ランフラット耐久性は向上しないと考えられる。しかし、本件明細書には、100%モジュラスに関する記載は一切ない。したがって、当業者が、本件発明において規定されているパラメータを満足しさえすれば、ランフラットタイヤの耐久性改善という課題を解決できると認識することはできない。よって、本件発明の特許請求の範囲の記載は、本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものではない。
(取消事由2)
本件発明は「動的貯蔵弾性率の170℃から200℃までの変動が2.9MPa以下」という数値範囲を特徴とする発明であるのに対して、本件明細書には特定の劣化防止剤を使用して上記数値範囲を満たすようにした態様しか記載されていない。しかし、本件発明は、特定の劣化防止剤を含むことに限定されていないから、当該劣化防止剤を含まない場合に、170℃から200℃までの貯蔵弾性率の変動がどのような変化を示すのかについて、実施例及び比較例の数値からだけでは、予測することが困難である。したがって、特定の劣化防止剤を含む態様以外の態様を実施する際に過度の試行錯誤を要する。・・・(略)・・・よって、本件明細書には、上記数値範囲を満たす態様が1種類しか記載されていないから、本件発明の全範囲において実施可能要件を満たしているとはいえない。
(取消事由3)
相違点1に係る本件発明の構成、すなわち「動的貯蔵弾性率の170℃から200℃までの変動が2.9MPa以下」とは、サイド補強層の弾性率の低下を抑えることを規定したものであり、弾性率の低下を表す指標として「動的貯蔵弾性率の変動」を採用し、弾性率を維持する温度範囲として「170℃から200℃」を採用し、弾性率の低下量の上限値として「2.9MPa」を採用したものである。そして、後記のとおり、引用例1、引用例4、甲31、甲33ないし39、甲48ないし51から認められる技術水準によれば、相違点1は、課題を表したものにすぎず、当該課題には容易に想到でき、また、相違点1は、数値範囲のみであり、数値範囲に臨界的意義はないというべきである。
(取消事由4)
引用例2には、タイヤ用のゴム組成物に配合して耐熱性を高めるための材料であって、本件発明に使用される劣化防止剤と同じ材料が記載されている。したがって、引用発明1及び引用発明2に基づき本件発明を実現することも容易である。また、引用発明1のサイド補強層用ゴム組成物に、引用例2に記載の劣化防止剤を適用する際に、当該劣化防止剤が機能する温度領域を確認することは本件特許の原出願日当時の当業者であれば当然行ったはずである。そして、引用例2に記載の劣化防止剤は、170℃以上におけるゴムの弾性率の低下を防止する材料である。よって、本件特許の原出願日当時の当業者であれば、引用発明1に引用例2に記載の劣化防止剤を適用した場合にサイド補強層の170℃以上における耐久性が向上することを容易に想到できる。
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋、下線)
(取消事由1)
『⑵本件発明は、動的貯蔵弾性率の170℃から200℃までの変動が2.9MPa以下であり、天然ゴムを含む、サイドウォール部補強用ゴム組成物を用いたことを特徴とするランフラットタイヤである。そして、前記1⑵ウのとおり、本件発明の課題は、耐熱性が改良されたサイドウォール部補強用ゴム組成物を用いて、耐久性が改良されたランフラットタイヤを提供するというものである。
⑶一方、本件明細書の発明の詳細な説明には、補強用ゴム組成物の弾性率が低下すると、タイヤのたわみが増加して発熱が進むなどして、タイヤが比較的早期に故障する旨記載された上で(【0002】)、「ゴム組成物の動的貯蔵弾性率の170℃~200℃における変動を3.0MPa以内に抑えることにより、ゴム組成物の物性の温度依存性を小さくすることができ」ること(【0007】)、「この変動が3.0MPaを超えると、ゴム組成物の弾性率の温度依存性が高くなり、高温での物性の低下を免れない」こと(【0008】)、がそれぞれ記載されている。そして、本件明細書の発明の詳細な説明には、「このゴム組成物を空気入りタイヤの特にはサイドウォール部のゴム補強層に用いることにより、タイヤの耐久性を大幅に改善することができる」こと(【0007】)、本件発明のゴム組成物は、「タイヤのパンクなどによる大きな変形のため、ゴム組成物の温度が170℃以上になっても弾性率の低下が抑えられ」、したがって、これを「サイドウォール部のゴム補強層」とすることにより、「特にタイヤサイドウォール部の耐久性を向上させることができる」こと(【0019】【0020】)が、それぞれ記載されている。
⑷したがって、本件発明は、本件明細書の発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が本件発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるというべきである。・・・(略)・・・
なお、原告は、補強用ゴム組成物において100%モジュラスが60kg/cm2未満では、本件発明の課題が解決できないと主張するものとも解される。しかし、補強用ゴム組成物の100%モジュラスの程度は、補強用ゴム組成物において、その動的貯蔵弾性率の170℃から200℃までの変動が2.9MPa以下であって、天然ゴムが含まれること自体によって、その耐熱性が改良されることや、かかる補強用ゴム組成物を用いたランフラットタイヤの耐久性が改良されること自体を否定するものにはならない。』
(取消事由2)
『⑵本件発明は、動的貯蔵弾性率の170℃から200℃までの変動が2.9MPa以下であり、天然ゴムを含む、サイドウォール部補強用ゴム組成物を用いたことを特徴とするランフラットタイヤである。そして、本件明細書の発明の詳細な説明には、補強用ゴム組成物のゴム成分として、通常用いられるものを適宜選択することができるとされ、さらに具体例が列挙され(【0015】)、配合が好ましい劣化防止剤が具体的に列挙され、その配合量も記載され(【0009】~【0013】)、その他の配合剤も具体的に列挙されている(【0016】)。また、本件明細書の発明の詳細な説明には、動的貯蔵弾性率の170℃から200℃までの変動が2.9MPa以下であり、天然ゴムを含む補強用ゴム組成物の実施例が16例も列挙されている(【0024】【表2】【表3】)。そうすると、当業者は、上記各記載に基づいて、過度の試行錯誤を要することなく、本件発明に係るランフラットタイヤを製造することができるというべきである。
⑶原告の主張について
ア原告は、本件発明は、特定の劣化防止剤を含むことに限定されていないから、本件明細書に記載された劣化防止剤を含む態様以外の態様を実施する際に、当業者は過度の試行錯誤を要する旨主張する。しかし、前記⑵のとおり、本件明細書には、配合が好ましい劣化防止剤が具体的に列挙され、その配合量も記載され、さらに、本件発明の発明特定事項を満たす実施例が16例も記載されているから、当業者は、本件発明に係るランフラットタイヤを製造することに過度の試行錯誤を要するものではない。原告の主張は失当である。』
(取消事由3)
『以上の各文献によれば、本件特許の原出願日当時において、ランフラットタイヤの補強用ゴム組成物の温度範囲は、せいぜい150℃以下の温度範囲で着目されていたものにすぎず、ランフラットタイヤの補強用ゴム組成物において、170℃から200℃までの温度範囲に着目されていたということはできない。そして、他に、この事実を認めるに足りる証拠もない。したがって、本件特許の原出願日当時、ランフラットタイヤの補強用ゴム組成物において、170℃から200℃までの動的貯蔵弾性率の変動に着目することを、当業者が容易に想到することができたということはできない。・・・(略)・・・
以上のとおり、本件特許の原出願日当時、ランフラットタイヤの補強用ゴム組成物において、170℃から200℃までの動的貯蔵弾性率の変動に着目することを、当業者が容易に想到することができたということはできない。
したがって、引用発明1において、この変動を2.9MPa以下に特定するという相違点1に係る本件発明の構成を備えるようにすることを、当業者が容易に想到することができたということはできないから、相違点1に係る数値範囲の臨界的意義について検討するまでもなく、本件発明は、当業者が引用発明1に基づいて容易に発明をすることができたものということはできない。』
(取消事由4)
『⑵以上のとおり、引用例2には、タイヤ用ゴム組成物において、275℃から330℃までの各温度においてブローアウトしたか否かについて計測されている。しかし、その課題は、急激な温度上昇下におけるトレッドゴム組成物の耐熱性を向上させるというものであって、トレッドゴム組成物と本件発明の補強用ゴム組成物とは、部位が全く異なり、また、引用例2は、ランフラットタイヤを前提とするものでもない。
したがって、引用発明2は、ランフラットタイヤの補強用ゴム組成物における170℃から200℃までの温度範囲に着目するものということはできない。また、前記4⑶イないしクで検討したとおり、本件特許の原出願日当時、ランフラットタイヤの補強用ゴム組成物において、170℃から200℃までの温度範囲に着目されていたということはできないから、引用発明2を引用発明1に適用するに当たり、170℃から200℃までの温度範囲を設定できるものでもない。そうすると、引用発明1に引用発明2を適用しても、相違点1に係る本件発明の構成には至らないというべきである。』
[コメント]
本件明細書の発明の詳細な説明の段落【0007】には、発明の効果として「ゴム組成物の動的貯蔵弾性率の170℃~200℃における変動を3.0MPa以内に抑えることにより、ゴム組成物の物性の温度依存性を小さくすることができ、」との記載があり、段落【0014】には、「本発明で好適に用いる劣化抑止剤は、170℃未満では、加硫に対して実質的に不活性であり、従って、加硫温度(通常160℃前後)においては架橋に関与せず弾性率は設計目標以上に増加しない。一方、ゴム組成物の温度が170℃以上になると、ゴムの劣化が始まり、架橋点やポリマー鎖の切断が起こり始めるが、一方で、該劣化抑止剤によるポリマーの再架橋も進むため、弾性率の低下が抑えられ、その結果、高温下でも発熱が抑制される。」との記載がある。取消事由4で「170℃から200℃までの動的貯蔵弾性率の変動」に着目することは容易想到ではないと判断されており、また発明の効果の記載からも、本件発明では特定の温度範囲での物性に着目した点に特徴があると言える。そして、その温度範囲の決定に関し、劣化抑制剤の働き(ゴム組成物の温度が170℃以上になると、ゴムの劣化が始まる一方で、劣化抑止剤によるポリマーの再架橋も進むため、弾性率の低下が抑えられる)が大きな影響を及ぼしていると考えられる。そうすると、審査基準第II部第1章第2節2.2サポート要件違反の類型(3)「出願時の技術常識に照らしても、請求項に係る発明の範囲まで、発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できるとはいえない場合」に当てはめて検討した場合、原告の取消事由4での主張は、サポート要件違反で行った方がより認められ易かったのではないだろうか。いずれにせよ、本件発明はパラメータ発明とも言え、かかる発明の無効を主張することの難しさを痛感する事例と言える。
以上
(担当弁理士:山下 篤)

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