判例研究 » 令和2年(行ケ)第10077号「5-HT1A受容体サブタイプ作動薬」事件

名称:「5-HT1A受容体サブタイプ作動薬」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:令和2年(行ケ)第10077号 判決日:令和3年12月27日
判決:審決取消
条文:特許法36条4項1号、6項1号
キーワード:実施可能要件、サポート要件、技術常識
判決文:https://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/854/090854_hanrei.pdf

[事案の概要]
本件出願当時、5-HT1A受容体部分作動薬一般がその抗うつ作用により双極性障害のうつ病エピソードに対して治療効果を有するという技術常識があったことを否定して実施可能要件違反等を認定していた審決が取り消された事例。

[事件の経緯]
原告は、特許第4178032号の特許権者である。
原告が、当該特許に係る発明についての特許を無効とする無効審判(無効2018-800113号)を請求し、被告が訂正を請求したところ、特許庁が、当該請求を一部認容する審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を認容し、審決を取り消した。

[本件発明]
【請求項1】
鬱病、最近のエピソードが軽い躁、躁、混合状態、鬱、又は特定できない症状の発現を有する双極性I型障害、エピソードが軽い躁症状の発現を伴った再発大鬱症状の発現及び循環型を有する双極性II型障害からなる群から選ばれた5-HT1A受容体サブタイプに関連した中枢神経系の障害を治療するための医薬組成物であって、式(1):

(カルボスチリル骨格の3位及び4位の間の炭素-炭素結合は、単結合又は二重結合である);のカルボスチリル化合物、及び医薬として許容されるその塩又は溶媒和物の治療有効量を含む医薬組成物。

[審決]
審決では、下記のように、5-HT1A部分作動薬を双極性障害の治療に使用することができることは、本件出願時の技術常識であるとはいえないとして、実施可能要件、サポート要件違反を理由に、本件特許を一部無効とした。
本件出願時において、各種の抗うつ薬を双極性障害の「うつ病エピソード」の治療に使用することができることは、技術常識であるが、一方で、双極性障害の患者に抗うつ薬を使用した場合、躁病エピソードの誘発、軽躁エピソードの誘発、急速交代化の誘発、及び混合状態の悪化等の様々な有害事象が生じる危険性があることを考慮すると、全ての抗うつ薬が双極性障害の「うつ病エピソード」の治療に使用することができるという技術常識があるとは言い難く、5-HT1A部分作動薬を双極性障害の「うつ病エピソード」の治療に使用できることが技術常識であるとはいえない。

[主な取消事由]
1.実施可能要件の判断の誤りについて
2.サポート要件の判断の誤りについて

[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋)
『3 取消事由1(実施可能要件の判断の誤り)について
・・・(略)・・・
(2)本件出願当時の5-HT1A受容体部分作動薬の抗うつ作用に関する技術常識について
・・・(略)・・・
上記認定事実によれば、本件出願当時、5-HT1A受容体部分作動薬が、脳内のシナプス後5-HT1A受容体に結合することによって作動する受容体部分作動作用に基づいて、抗うつ作用を有することは技術常識であったことが認められる。
そうすると、本件出願当時、5-HT1A受容体部分作動薬一般が上記5-HT1A受容体部分作動作用に基づく抗うつ作用によりうつ病に対して治療効果を有することは技術常識であったことが認められる。
・・・(略)・・・
(3)本件出願当時の5-HT1A受容体部分作動薬の双極性障害のうつ病エピソードに対する治療効果に関する技術常識について
ア 前記(1)イの記載事項を総合すると、本件出願当時、①大うつ病(単極性うつ病)の症状の一つである「大うつ病エピソード」(うつ病エピソード)と双極性障害(双極性障害Ⅰ型及びⅡ型)の症状の一つである「大うつ病エピソード」(うつ病エピソード)の定義及び診断基準は同一であったこと、②大うつ病性障害の患者に有効であることが立証されているすべての抗うつ薬は双極性障害のうつ病エピソードの患者にも有効であると考えられていたこと、③一方で、双極性障害の患者に対する抗うつ薬の投与によって、うつ病エピソードを誘発し、躁転や急速交代化を引き起こす可能性があるが、このような可能性がある場合には、抗うつ薬の投与量の調整、気分安定薬との併用等により対応していたことが認められる。
上記認定事実と5-HT1A受容体部分作動薬が、脳内のシナプス後5-HT1A受容体に結合することによって発現する5-HT1A受容体部分作動作用に基づいて抗うつ作用を有することは本件出願当時の技術常識であったこと(前記(2))によれば、本件出願当時、5-HT1A受容体部分作動薬一般がその抗うつ作用により双極性障害のうつ病エピソードに対して治療効果を有することは技術常識であったことが認められる。
・・・(略)・・・
以上のような医薬品の開発の実情、医薬品の承認審査制度の内容、特許法の記載要件(実施可能要件、サポート要件)の審査は、先願主義の下で、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与するとの特許法の目的を踏まえてされるべきものであることに鑑みると、物の発明である医薬用途発明について「その物の使用する行為」としての「実施」をすることができるというためには、当該医薬をその医薬用途の対象疾患に罹患した患者に対して投与した場合に、著しい副作用又は有害事象の危険が生ずるため投与を避けるべきことが明白であるなどの特段の事由がない限り、明細書の発明の詳細な説明の記載及び特許出願時の技術常識に基づいて、当該医薬が当該対象疾患に対して治療効果を有することを当業者が理解できるものであれば足りるものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、本件審決が述べる「双極性障害の患者に抗うつ薬を使用した場合、躁病エピソードの誘発、軽躁エピソードの誘発、急速交代化の誘発、及び混合状態の悪化等」の「様々な有害事象が生じる危険性」については、本件出願当時、抗うつ薬と気分安定薬とを併用することにより、躁転のリスクコントロールが可能であり、躁転発生時には抗うつ薬の中止又は漸減により対応可能であると考えられていたこと(前記ア③)に照らすと、上記特段の事由に当たるものと認められない。
・・・(略)・・・
(4)実施可能要件の適合性について
ア 本件出願当時、5-HT1A受容体部分作動薬一般が脳内のシナプス後5-HT1A受容体に結合することによって作動する受容体部分作動作用に基づく抗うつ作用により双極性障害のうつ病エピソードに対して治療効果を有することは技術常識であったことは、前記(3)認定のとおりである。
また、本件明細書の発明の詳細な説明の開示事項(前記2(2))から、本件発明1の本件カスボスチリル化合物は、5-HT1A受容体部分作動薬であることを理解できる。
そうすると、本件明細書に接した当業者は、本件明細書の発明の詳細な説明記載のアリピプラゾールの薬理学的試験(in vitro試験)の結果(前記2(2)ウ)及び上記技術常識に基づいて、5-HT1A受容体サブタイプに関連した中枢神経系の障害である、請求項1に記載の双極性I型障害又は双極性II型障害の「うつ病エピソード」を発症した患者に対して本件カスボスチリル化合物を投与して、当該「うつ病エピソード」を治療できることを理解できるものと認められる。
したがって、これを否定して、本件発明1、4及び5が実施可能要件に適合しないとした本件審決の判断は、その前提において誤りがある。』

『4 取消事由2(サポート要件の判断の誤り)について
・・・(略)・・・
しかしながら、本件審決の上記判断は、本件明細書の発明の詳細な説明記載のアリピプラゾールの薬理学的試験(in vitro試験)の結果(前記2(2)ウ)及び本件出願時の技術常識に基づいて、5-HT1A受容体サブタイプに関連した中枢神経系の障害である、請求項1に記載の双極性I型障害又は双極性II型障害の「うつ病エピソード」を発症した患者に対して本件カスボスチリル化合物を投与して、当該「うつ病エピソード」を治療できることを理解できること(前記3(4))を否定して判断したものであるから、その前提において誤りがある。これに反する被告らの主張は採用することができない。』

[コメント]
本事件の審決では、本件出願当時、5-HT1A受容体部分作動薬一般がその抗うつ作用により双極性障害のうつ病エピソードに対して治療効果を有するという技術常識が認められないことを理由に実施可能要件違反等が認定されていた。これに対して、本判決では、さらに技術的な主張が積み重ねられたことで上記技術常識の存在が認められ、審決が取り消されている。化学・医薬分野において、存在を否定された技術常識に対しての対処法として参考になる事例である。
また、本件特許権に対する同様の審決取消訴訟が他に6件提起されている(令和2年(行ケ)第10078号~第10083号)。
以上
(担当弁理士:東田 進弘)