審決取消請求事件 » 令和元年(行ケ)第10128号「低鉄損一方向性電磁鋼板」事件

名称:「低鉄損一方向性電磁鋼板」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:令和元年(行ケ)第10128号 判決日:令和2年9月29日
判決:請求棄却
特許法36条6項1号
キーワード:サポート要件
判決文: https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/735/089735_hanrei.pdf

[概要]
 「板厚方向の引張り応力の最大値が40MPa以上となること」は課題解決手段であり、図5によれば、板厚方向に対する引張り応力の最大値が40MPa以上であることにより鉄損の低減が図られることが理解することができ、サポート要件を充足するから、本件審決が、「板厚方向の引張り応力の最大値が40MPa以上となること」を本件各発明の課題解決手段としなかった点において誤りであるが、結論において正当であるとし、サポート要件を充足するとした審決を維持した事例。

[事件の経緯]
 被告は、特許第5241095号の特許権者である。
 原告が、本件特許について無効審判(無効2018-800121号)を請求したところ、特許庁が、請求不成立(特許維持)の審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
 知財高裁は、原告の請求を棄却した。

[本件発明1]
【請求項1】
 鋼板の板厚内部における1箇所又は複数箇所に、板厚方向に対する応力が引張り応力であり、かつその最大値が40MPa 以上で鋼板素材の降伏応力値以下である応力が存在する領域が、鋼板の圧延方向に7.0mm以下の間隔で形成されていることを特徴とする低鉄損一方向性電磁鋼板。

[審決]
 審決では、『本件課題を解決する手段は、「板厚方向に鋼板素材の降伏応力値以下の範囲で引張り応力を導入すること」であり、本件発明1における引張り応力の下限は特定条件下の実験により求められた40MPaであるとしても、課題解決手段は上記のとおりであるから、上記下限が40MPaであっても引張り応力を導入するものである以上、本件課題は解決するから、サポート要件は満たされているといえる。』と認定した。

[主な取消事由]
 サポート要件に係る判断の誤り(取消事由1)

[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋、下線)
『(1) サポート要件の判断の枠組み
 特許請求の範囲の記載が、サポート要件を定めた特許法36条6項1号に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲内のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきである。』

『(3) 発明の詳細な説明の記載
ア 本件各発明の課題の認定
 サポート要件の適否を判断する前提としての当該発明の課題の認定は、原則として、発明の詳細な説明の記載に基づいてするのが相当である。
 ・・・(中略)・・・本件各発明については、「発明が解決しようとする課題」として記載されたとおり、「一方向性電磁鋼板の鉄損をヒステリシス損と渦電流損に分けて、特に磁区細分化による渦電流損の観点から、歪および応力分布を表面内だけでなく、板厚内部も含めて定量的に適正な条件下で制御することにより、優れた一方向性電磁鋼板を提供すること」を課題とするものであると認められる。』

『イ 作用機序について
(ア) 渦電流損の低減
 本件明細書には、鋼板の板厚内部の応力状態、特に板厚方向に対する引張り応力こそが、還流磁区を発生させる芽であり、180度磁区細分化を促進させることが記載されている(【0015】)。
 また、板厚内部の板厚方向に対して引張り応力を導入すると、「電磁鋼板の磁化と応力の相互作用エネルギー=-C×M×σ×cosθ(C:正の定数、M:磁化の大きさ、σ:応力の大きさ、θ:磁化と応力のなす角度)」(【0019】)は、磁化が板厚方向に向くほうが安定となるので、還流磁区が形成され、その結果、鋼板全体の磁区の再構成が促進され、180度磁区幅の細分化、すなわち渦電流損が低減すること(【0019】、【0020】)が記載されている。
(イ) ヒステリシス損の低減
 本件明細書には、板厚方向に対する引張り応力の値が、塑性域の応力、すなわち降伏応力以上になると、板厚内部の塑性域が磁壁のピンニングサイトとして働き、鉄損の一部であるヒステリシス損が増加することが記載されている(【0015】)。
(ウ) 本件各発明の作用機序
 本件明細書には、上記(ア)(イ)を踏まえ、本件各発明が、一方向性電磁鋼板の板厚方向に対して引張り応力が導入されるよう制御して、還流磁区を効果的に発生させ、180度磁区の細分化を促し、渦電流損を低減させ、さらに、板厚内部の応力値を降伏応力以下に定量的に制限することにより、ヒステリシス損の増加を抑えて、従来の一方向性電磁鋼板に比べて大幅に鉄損を低減させることが記載されている(【0016】)。』

『ウ 図5についての記載
 図5は、一方向性電磁鋼板の表面にレーザーを照射し、鋼板の板厚内部に応力を発生させた試料を作成し、発生した応力の中で、板厚方向に対する引張り応力の最大値と鉄損(W17/50)との相関を示したグラフである。
 図5には、鋼板内部に形成した板厚方向に対する引張り応力の最大値と鉄損の関係を示すグラフが記載されているところ、同図は、W17/50は単板磁気測定装置を用いて周波数50Hzで励磁した時の磁束密度(B)1.7Tの条件で測定した鉄損値を示すものであり、一方向性電磁鋼板の板厚は約0.23mmで、レーザーは照射ビーム径150μmのパルスYAGレーザーを使用した。照射条件は、鋼板を水中に置き、鋼板の圧延方向に5.0mmの照射間隔(ピッチ)で、鋼板の圧延方向に対して直角方向に照射パルスが重なるように照射した(【0024】)。
 ここで、図5をみると、鉄損値は、【0024】の条件の下で、板厚方向に対する引張り応力の最大値が0MPaのときに最も高く、引張り応力の最大値が大きくなるにつれて減少し、40MPaから300MPa程度までは低い水準で推移し、300MPaを超えるあたりから増加していることがみてとれる(【0030】、図5)。
 そうすると、図5には、優れた鉄損値(W17/50)が得られるのは、鋼板内部における板厚方向の引張り応力の最大値が40MPa以上のときであること、300MPaを超える付近から鉄損が増加するのは、引張り応力の最大値が大きくなると、塑性域が増加するため、磁壁がその塑性域にピンニングされ、ヒステリシス損が増加するものと考えられること、Fe-3%Siの組成を持つ一方向性電磁鋼板の降伏応力は、約350MPaであるので、図5における鉄損が増加した応力値とほぼ傾向が一致すること、これらの理由から、本件各発明では、板厚内部における板厚方向の引張り応力の最大値は40MPa以上、素材の降伏応力値以下であることが必要であることが記載されている(【0028】、【0030】、【0031】)。
エ 実施例の記載(【0043】~【0045】)
 板厚が0.23mmの一方向性電磁鋼板を用いて、表1に示すような、板厚内部における板厚方向の引張り応力の最大値、応力分布の板厚内部における圧延方向の分布幅及び板厚方向の分布幅(対板厚率)、応力が存在する領域の圧延方向の間隔、応力が存在する領域の圧延方向に対する角度をそれぞれ変えた一方向性電磁鋼板を製造後、各鋼板の鉄損W17/50を測定したところ、板厚方向の引張り応力の最大値が40MPaから150Maである本件各発明のもの(No.1~7)は、板厚方向の引張り応力の最大値が10、20、又は360MPaである比較例のもの(No.8~10)と比較して鉄損値が小さいことが記載されている。』

『オ 課題解決手段
 以上のとおり、本件明細書の発明の詳細な説明の記載によれば、本件各発明は、鋼板の板厚方向に対する引張り応力を導入し、その最大値が40MPa以上で鋼板素材の降伏応力値以下である応力の存在する領域を、鋼板の圧延方向に7.0mm以下の間隔で、鋼板の板厚内部に形成するとの構成を採用することにより、一方向性電磁鋼板の鉄損をヒステリシス損と渦電流損に分け、特に磁区細分化による渦電流損の観点から、歪及び応力分布を表面内だけでなく、板厚内部も含めて定量的に適正な条件下で制御することにより、優れた一方向性電磁鋼板を提供するとの課題を解決したものと認められる。』

『(4) サポート要件適合性
ア 本件発明1について
(ア) 本件明細書の発明の詳細な説明の記載(前記(3)イ)によれば、渦電流損とヒステリシス損という2種類の鉄損のうち、①渦電流損については、一方向性電磁鋼板の板厚方向に対して引張り応力が導入されるよう制御して、還流磁区を効果的に発生させ、180度磁区の細分化を促すことによって、渦電流損を低減させ、②ヒステリシス損については、導入される板厚内部の応力の最大値を定量的に制限することにより、ヒステリシス損の増加を抑え、③以上の機序によって、従来の一方向性電磁鋼板に比べて大幅に鉄損を低減させるものであることを、演繹的に理解することができる。
(イ) これをより具体的に言えば、・・・(中略)・・・
(ウ) 上記(ア)(イ)に照らすと、最大値が40MPa以上で鋼板素材の降伏応力値以下である引張り応力が存在する領域を板厚内部に形成した本件発明1は、一方向性電磁鋼板について、ヒステリシス損と渦電流損との2つの観点から、鉄損の低減を図ったものであり、特に渦電流損の低減は磁区細分化によるものであること、及び、当該引張り応力の導入により、鉄損特性に優れたものとなることが理解できる。
 一方、本件発明1の課題は、前記(3)アのとおりであるところ、当該課題における「優れた一方向性電磁鋼板」とは、本件明細書全体の記載、特に、「鉄損特性に非常に優れた一方向性電磁鋼板を提供でき」る(【0013】)との記載や、実施例の一方向性電磁鋼板が比較例に比べて低鉄損特性に優れていた旨の記載(【表1】、【0044】)からみて、鉄損特性に優れた一方向性電磁鋼板を意味すると解される。
 そうすると、当業者は、本件明細書の詳細な説明の記載から、本件各発明の課題を解決できると認識することができる。また、本件発明1に係る特許請求の範囲の記載は、詳細な説明に記載されたものである。』

『(5) 原告の主張について
・・・(中略)・・・
イ 実施例(図5)の結果を一般化することができないこと
 原告は、板厚方向に対する引張り応力の「最大値が40MPa以上」であることは、本件明細書の図5を根拠として導き出されたもので、このような特定の条件の下で得られた数値をもとに本件各発明に一般化することはできないと主張する。
 しかしながら、本件各発明の課題解決の機序は、前記のとおりであり・・・(中略)・・・磁化は、応力の向き、すなわち板厚方向に向く方がエネルギー的に安定になること、その結果、還流磁区が形成され、鋼板全体の磁区の再構成が促進され、180度磁区幅が細分化され、渦電流損が低減することが、上記式によって論理的に説明されている。
・・・(中略)・・・
 なるほど、図5及び実施例は、それぞれ特定の条件(【0024】、【0043】)の下で得られた例であるが、電磁鋼板の磁化と応力の相互作用エネルギーの前記の式には、電磁鋼板の板厚、分布幅、照射痕幅、レーザスポット形状、照射間隔、帯状範囲の圧延方向に対する角度、圧延方向の引張り応力、組成、照射条件(空気中か水中か)の寄与についての要素が含まれないことからみれば、これらの条件により左右されるものではない。そして、前記の本件各発明の機序を併せ考えると、原告が指摘する板厚、分布幅・照射痕幅等の諸条件のいずれかを変化させた試料で実験したとしても、電磁鋼板の磁化と応力の相互作用エネルギーには影響がないから、これにより本件各発明の上記の課題解決手段の機序が大きく阻害されるとか、全く異なる機序に変化してしまうような事情が生じるとは解されない。
・・・(中略)・・・
 そうすると、板厚方向に対する引張り応力の「最大値が40MPa以上で鋼板素材の降伏応力値以下」であることにより鉄損の低減が図られることが理解される。したがって、本件明細書の発明の詳細な説明に本件各発明が記載されており、これにより課題を解決できると認識できる範囲内のものということができる。
 よって、原告の主張は理由がない。』

『(6) 小括
 以上によれば、本件各発明に係る特許請求の範囲の記載は、サポート要件に適合する。本件審決は、「板厚方向の引張り応力の最大値が40MPa以上となること」を本件各発明の課題解決手段としなかった点において誤りであるが、結論において正当である。』

[コメント]
 原告は、「板厚方向に対する引張り応力の最大値が40MPa以上」であることは、本件明細書の図5を根拠として導き出されたもので、このような特定の条件の下で得られた数値をもとに本件各発明に一般化することはできない、と主張していた。
 これに対して、本判決では、本件発明の課題解決の機序に触れた上で、図5の例において条件を変更したとしても、課題解決手段の機序が大きく阻害されるとか、全く異なる機序に変化してしまうような事情が生じるとは解されないとした。この認定は、図5の例は、図5の特定の条件に限られず、一般化できるとの認定と考える。
 作用機序の説明が具体例の一般化に役立った例であり、サポート要件充足性を担保するために、作用機序の説明を記載しておくことの大切さを知ることができた事案である。

(担当弁理士:奥田 茂樹)