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平成30年(行ケ)第10165号「安定な炭酸水素イオン含有薬液」事件

名称:「安定な炭酸水素イオン含有薬液」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成30年(行ケ)第10165号 判決日:令和2年2月19日
判決:審決取消
特許法第29条第2項、、特許法17条の2第3項
キーワード:進歩性、新規事項
判決文:https://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/247/089247_hanrei.pdf
[概要]
 明細書に記載されている市販品の成分の例及び実施例の配合等に基づく訂正は新規事項には該当しないが、本件発明と引用発明との相違点については引用発明に係る明細書の記載や新たに提出された周知技術等が考慮され、容易想到性を肯定した審決が取り消された事例。
[事件の経緯]
 被告は、特許第5636075号の特許権者である。
 原告は、本件特許について特許を無効とする無効審判(無効2017-800015号)を請求し、被告は、訂正請求を請求したところ、特許庁は訂正を認めたうえで、本件特許を維持する審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
 知財高裁は、原告の請求を認容し、審決を取り消した。
[本件発明3](訂正前)
【請求項3】
 当該薬液が下記A液とB液を合して調製される、請求項1または2に記載の方法:
 A液:ナトリウムイオン、炭酸水素イオンおよび水を含有する溶液;
 B液:カルシウムイオン、マグネシウムイオンおよび水を含有する溶液;
 ただし、A液とB液の少なくとも一方がさらにカリウムイオンを含有し、A液とB液の少なくとも一方がオルトリン酸イオンを含有する。
[本件訂正発明3](下線は訂正箇所を示す。)
【請求項3】
 炭酸水素イオン、カルシウムイオンおよびマグネシウムイオンを含有する血液浄化用薬液にオルトリン酸イオンを2.3~4.5mg/dL(無機リン濃度換算)、ナトリウムイオンを132~143mEq/L、カリウムイオンを3.5~5.0mEq/L、カルシウムイオンを2.5mEq/L、マグネシウムイオンを1.0mEq/L、炭酸水素イオンを35.0mEq/L以下となるように配合したことを特徴とする、当該薬液の調製後少なくとも27時間にわたって不溶性微粒子や沈殿の形成を実質的に抑制する方法であって、
 当該薬液が下記A液とB液を合して調製される方法:
 A液:ナトリウムイオン、炭酸水素イオンおよび水を含有する溶液;
 B液:カルシウムイオン、マグネシウムイオンおよび水を含有する溶液;
 ただし、A液とB液の少なくとも一方がさらにカリウムイオンを含有し、A液とB液の少なくとも一方がオルトリン酸イオンを含有する。
[本件訂正発明12](下線は訂正箇所を示す。)
【請求項12】
 下記A液とB液を合して調製される血液浄化用薬液であって、調製後の薬液におけるオルトリン酸イオン濃度が2.3~4.5mg/dL(無機リン濃度換算)であり、ナトリウムイオン濃度が132~143mEq/Lであり、カリウムイオン濃度が3.5~5.0mEq/Lであり、カルシウムイオン濃度が2.5mEq/Lであり、マグネシウムイオン濃度が1.0mEq/Lであり、炭酸水素イオン濃度が35.0mEq/L以下であり、そして当該薬液調製後少なくとも27時間にわたって不溶性微粒子や沈殿の形成が実質的に抑制され:
  A液:ナトリウムイオン、炭酸水素イオンおよび水を含有する溶液;
  B液:カルシウムイオン、マグネシウムイオンおよび水を含有する溶液;
  ただし、A液とB液の少なくとも一方がさらにカリウムイオンを含有し、A液およびB液の少なくとも一方がオルトリン酸イオンを含有する、薬液。
[取消事由]
1.訂正要件の判断の誤り(取消事由1)
2.甲3を主引用例とする訂正発明12の進歩性の判断の誤り(取消事由2-1-1)
[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋)
1取消事由1(訂正要件の判断の誤り)について
『本件訂正前の特許請求の範囲(請求項3及び8)の記載(前記第2の2(1))と本件訂正後の特許請求の範囲(請求項3及び8)の記載(前記第2の2(2))を対比すると、本件訂正の前後で、A液とB液の組成・・・(略)・・・において変更はなく、訂正事項Aにより、A液とB液を合した混合液のイオン濃度について、一定の数値範囲を定めていたオルトリン酸イオンについて、当該数値範囲の中の特定の数値に限定し、イオン濃度が限定されていなかったナトリウムイオン・・・(略)・・・について、特定の数値に限定するものであるから、訂正事項Aは、本件訂正前の特許請求の範囲に記載された事項の範囲内においてしたものである。
 また、本件訂正後の特許請求の範囲(請求項3及び8)の記載は、・・・(略)・・・【0010】、【0024】、【0075】及び【0088】に記載された事項の範囲内のものである。
 そうすると、訂正事項Aは、本件明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入するものとはいえないから、本件明細書等に記載した事項の範囲内においてしたものと認められる。』
2取消事由2-1-1(甲3を主引用例とする本件訂正発明12の進歩性の判断の誤り)について
『ア相違点(甲3-3-b”)について
(ア)甲3には、引用発明2-2-1’(実施例4記載の用時混合型の医療溶液)が「血液浄化用薬液」であることを明示した記載はない。
 一方で、甲3には、・・・(略)・・・「本発明」の目的の1つは、・・・(略)・・・「医療溶液」(・・・(略)・・・腎疾患集中治療室内での透析用の溶液・・・(略)・・・)を提供することにあることの開示がある。この「医療溶液」中の「腎疾患集中治療室内での透析用の溶液」とは、・・・(略)・・・血液浄化のための透析用の溶液を含むことは自明である。
・・・(略)・・・
 以上の点に照らすと、甲3に接した当業者においては、甲3記載の実施例4(引用発明2-2-1’)において、当該「医療溶液」を「血液浄化用薬液」にすることを試みる動機付けがあるものと認められる。』
『イ相違点(甲3-3-d”)について
(ア)引用発明2-2-1’(実施例4記載の用時混合型の医療溶液)における第一単一溶液と第二単一溶液を混合した即時使用溶液の各成分のイオン濃度は、「K⁺」(カリウムイオン濃度)が「4.0mM」(4.0mEq/L)、「HPO₄²⁻」(リン酸イオン濃度)が「1.20mM」(無機リン濃度3.72mg/dL)、「Ca²⁺」(カルシウムイオン濃度)が「1.25mM」(2.50mEq/L)、「Mg²⁺」(マグネシウムイオン濃度)が「0.6mM」(1.2mEq/L)、「HCO₃⁻」(炭酸水素イオン濃度)が「30.0mM」(30.0mEq/L)である。
・・・(略)・・・
 加えて、甲3には、④「本明細書で述べる現在好ましい実施形態への様々な変更および修正は当業者に明らかであることが理解されるべきである。そのような変更および修正は、本発明の精神および範囲から逸脱することなくおよびその付随する利点を減じることなく実施することができる。」(前記(1)ア(ケ))との記載があることに照らすと、甲3に接した当業者は、引用発明2-2-1’における上記即時使用溶液の各成分のイオン濃度を最適なものに変更し得るものと理解するものといえる。
 しかるところ、・・・(略)・・・カルシウムイオン濃度を「2.5~3.5mEq/L」、マグネシウムイオン濃度を「1.0~1.5mEq/L」、炭酸水素イオン濃度を「30mEq/L」前後の範囲の中で調整することは、技術常識又は周知であったものである。
・・・(略)・・・
 そうすると、甲3に接した当業者は、引用発明2-2-1’における上記即時使用溶液のマグネシウムイオン濃度を市販されている透析液及び補充液の上記数値範囲内の「1.0mEq/L」(相違点(甲3-3-d”)に係る本件訂正発明12の構成)にすることを容易に想到することができたものと認められる。』
『(イ)これに対し被告らは、①不溶性微粒子の形成を抑制する溶液を実現するためには、・・・(略)・・・溶液に含まれる他の成分及び各イオン濃度の組合せが調整される必要があるから、これらの組合せが1個の不可分のまとまりのある技術事項となるところ、・・・(略)・・・混合液の各成分の濃度は、成分ごとに区々別々に対比するのではなく、各成分の濃度の組合せを一つの単位として認定して、引用発明2-2-1’と対比するのが相当である、・・・(略)・・・などとして、・・・(略)・・・容易に想到し得たものではない旨主張する。
 しかしながら、前記(ア)のとおり、・・・(略)・・・マグネシウムイオン濃度を市販されている透析液及び補充液の数値範囲の中で調整することは、当業者が適宜選択し得る設計事項であるものと認められる。そうすると、当業者は、引用発明2において、相違点(甲3-3-d”)に係る本件訂正発明12の構成とすることを容易に想到することができたものと認められる。このことは、混合液の各成分の濃度の組合せをひとまとまりの相違点と認定した場合であっても同様である。』
『ウ相違点(甲3-3-a”)について
・・・(略)・・・
 以上の本件訂正発明12の特許請求の範囲(請求項12)の記載及び本件明細書の記載を総合すると、本件訂正発明12の「そして当該薬液調製後少なくとも27時間にわたって不溶性微粒子や沈殿の形成が実質的に抑制され」との構成は、本件訂正発明12のA液及びB液の成分組成及びそれらのイオン濃度を請求項12に記載されたものに特定することによって実現されるものと理解できる。
(イ)そして、前記ア及びイのとおり、甲3に接した当業者は、引用発明2-2-1’において、「血液浄化用薬液」として使用すること・・・(略)・・・及びマグネシウムイオン濃度を本件訂正発明12の濃度とすること・・・(略)・・・を容易に想到することができたものである。
・・・(略)・・・
 以上によれば、本件訂正発明12の「少なくとも27時間にわたって不溶性微粒子や沈殿の形成が実質的に抑制される」という構成は、引用発明2-2-1’において、相違点(甲3-3-b”)及び(甲3-3-d”)に係る本件訂正発明12の構成とした場合に、自ずと備えるものと認められる。
 したがって、引用発明2-2-1’において、相違点(甲3-3-a”)に係る本件訂正発明12の構成とすることは、当業者が容易に想到することができたものと認められる。』
『(4)本件訂正発明12の顕著な効果について
・・・(略)・・・
 そこで検討するに、被告らが主張する「混合後長時間が経過してpHが上昇しても、不溶性微粒子や沈殿の生成を抑制することができる」という本件訂正発明12の効果は、「当該薬液調整後少なくとも27時間にわたってpH7.5以上でも不溶性微粒子や沈殿の形成が実質的に抑制され」ること(【0057】)に相当する効果であるものと認められる。一方で、本件明細書には、本件訂正発明12の成分組成・・・(略)・・・において、「混合後27時間経過時」及び「54時間経過時」のpHの推移、微粒子の形成状況について明示した記載はないから、上記対比試験の結果(甲20の参考資料3)に基づく効果は、本件明細書に記載された本件訂正発明12の効果であるとは認められない。
 そして、上記「当該薬液調整後少なくとも27時間にわたってpH7.5以上でも不溶性微粒子や沈殿の形成が実質的に抑制され」るという効果は、前記(3)ウで説示したところと同様に、引用発明2-2-1’において、相違点(甲3-3-b”)及び(甲3-3-d”)に係る構成とした場合に、自ずと備えるものと認められるから、当業者の予測を超えた顕著な効果であるということはできない。』
[コメント]
・本件の訂正事項の中には「市販されている透析液・補充液の成分組成の一例(本件明細書段落0010)」として記載されている内容を根拠にしているものがある。この点について原告は、「本件明細書の【0010】は、市販されている透析液・補充液に関する記載、【0024】は、本件訂正発明に係るリン酸イオンとカリウムイオンがとり得る濃度範囲を示した記載にすぎない。また、【0075】及び表7の記載は、「実施例1の混合液」・・・(略)・・・について、「・・・(略)・・・の各濃度」が一体となって開示されたものであり、そのうちの一つでも濃度が変動すれば、沈殿形成が抑制されるかどうかは改めて確認しなければ分からない。」として当該訂正は新規事項の追加に当たる旨を主張した。しかし、当該訂正事項は明細書に記載されている事項であることには変わりはないので、当該内容を根拠にした訂正が新規事項の追加には該当しないという本判決の判断は妥当と考えられる。
・容易想到性の判断について、被告(特許権者)は「不溶性微粒子の形成を抑制する溶液を実現するためには、溶液に含まれる他の成分及び各イオン濃度の組合せが調整される必要があるから、これらの組合せが1個の不可分のまとまりのある技術事項となるところ、混合液の各成分の濃度は、成分ごとに区々別々に対比するのではなく、各成分の濃度の組合せを一つの単位として認定して、引用発明2-2-1’と対比するのが相当である」と反論した。しかし、上記のように本件の訂正事項の中には「市販されている透析液・補充液の成分組成の一例(本件明細書段落0010)」として記載されている数値範囲を根拠としているものがあり、本件訂正発明に係る各成分の濃度の組合せが一つの単位であると認定できるような記載は本件明細書にはない。
・原告は訂正要件の判断において「実施例1の混合液」等の各濃度が一体となって開示されていると主張する一方、被告は進歩性の判断において「各成分の濃度の組合せを一つの単位として認定して引用発明と対比すべきと主張したが、いずれも認められていない。
・本件特許は分割出願に係るものであるが、分割元(原出願)に係る特許についても無効審判の審決取消訴訟が提起され、本判決と同様の判断がなされている(参考:http://www.unius-pa.com/wp/wp-content/uploads/h30_gyouke_10061.pdf)。

以上
(担当弁理士:赤間賢一郎)

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