審決取消請求事件 » 平成28年(行ケ)10182、10184号「ピリミジン誘導体」事件

名称:「ピリミジン誘導体」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所・特別部:平成28年(行ケ)10182、10184号 判決日:平成30年4月13日
判決:請求棄却
条文:特許法123条2項、29条2項、36条6項1号
キーワード:訴えの利益、進歩性、サポート要件、大合議
判決文:http://www.ip.courts.go.jp/vcms_lf/zen_28gk10182_10184.pdf

[事案の概要]
1.平成26年改正法前特許法下での無効審判不成立審決の取消しの訴えの利益は、特許権消滅後であっても、特許権の存続期間中にされた行為について、何人に対しても、損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり、刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情がない限り、失われることはないとして、原告の訴えの利益を肯定した事例。
2.刊行物に化合物が一般式の形式で記載され、当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には、特定の選択肢に係る技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情がない限り、当該特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を抽出することはできず、これを引用発明と認定することはできないとして、進歩性を肯定する審決を維持した事例。

[事件の経緯]
被告は、特許第2648897号の特許権者である。
原告が、当該特許発明についての特許を無効とする無効審判(無効2015-800095号)を請求し、原告が訂正を請求したところ、特許庁が、請求不成立(特許維持)の審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を棄却した。

[本願発明]
【請求項1】(訂正後。なお、訂正により各置換基の範囲がより狭く特定された。)
式(I):
【化1】
・・・(略)・・・
(式中、
R1は低級アルキル;
R2はハロゲンにより置換されたフェニル;
R3は低級アルキル;
R4は水素またはヘミカルシウム塩を形成するカルシウムイオン;
Xはアルキルスルホニル基により置換されたイミノ基;
破線は2重結合の有無を、それぞれ表す。)
で示される化合物またはその閉環ラクトン体である化合物。

[審決]
判旨とほぼ同趣旨。

[主な争点]
1.訴えの利益の有無(本案前の抗弁)
2.進歩性の判断の誤り(取消事由1)
3.サポート要件についての断の誤り(取消事由2)

[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋)
『1 本案前の抗弁について
(1)ア 本件審判請求が行われたのは平成27年3月31日であるから、審判請求に関しては同日当時の特許法(平成26年法律第36号による改正前の特許法)が適用されるところ、当時の特許法123条2項は、「特許無効審判は、何人も請求することができる(以下略)」として、利害関係の存否にかかわらず、特許無効審判請求をすることができる旨を規定していた・・・(略)・・・。
このような規定が置かれた趣旨は、・・・(略)・・・誤って登録された特許を無効にすることは、全ての人の利益となる公益的な行為であるという性格を有することに鑑み、・・・(略)・・・広く一般人に広げたところにあると解される。
そして、特許無効審判請求は、当該特許権の存続期間満了後も行うことができるのであるから(特許法123条3項)、特許権の存続期間が満了したからといって、特許無効審判請求を行う利益、したがって、特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益が消滅するものではないことも明らかである。』
『ウ もっとも、特許権の存続期間が満了し、かつ、特許権の存続期間中にされた行為について、何人に対しても、損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり、刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情が存する場合、例えば、特許権の存続期間が満了してから既に20年が経過した場合等には、もはや当該特許権の存在によって不利益を受けるおそれがある者が全くいなくなったことになるから、特許を無効にすることは意味がないものというべきである。
したがって、このような場合には、特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益も失われるものと解される。
エ 以上によると、平成26年法律第36号による改正前の特許法の下において、特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益は、特許権消滅後であっても、特許権の存続期間中にされた行為について、何人に対しても、損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり、刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情がない限り、失われることはない。
オ ・・・(略)・・・本件において上記のような特段の事情が存するとは認められないから、本件訴訟の訴えの利益は失われていない。』

『3 取消事由1について
(1) 進歩性の判断について
・・・(略)・・・
このような進歩性の判断に際し、本願発明と対比すべき同条1項各号所定の発明(以下「主引用発明」といい、後記「副引用発明」と併せて「引用発明」という。)は、通常、本願発明と技術分野が関連し、当該技術分野における当業者が検討対象とする範囲内のものから選択されるところ、同条1項3号の「刊行物に記載された発明」については、当業者が、出願時の技術水準に基づいて本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する基礎となるべきものであるから、当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない。そして、当該刊行物に化合物が一般式の形式で記載され、当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には、当業者は、特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情がない限り、当該刊行物の記載から当該特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を抽出することはできない。
したがって、引用発明として主張された発明が「刊行物に記載された発明」であって、当該刊行物に化合物が一般式の形式で記載され、当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には、特定の選択肢に係る技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情がない限り、当該特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を抽出することはできず、これを引用発明と認定することはできないと認めるのが相当である。
この理は、・・・(略)・・・、刊行物から副引用発明を認定するときも、同様である。
・・・(略)・・・
そして、上記のとおり、主引用発明に副引用発明を適用することにより本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する場合には、①主引用発明又は副引用発明の内容中の示唆、技術分野の関連性、課題や作用・機能の共通性等を総合的に考慮して、主引用発明に副引用発明を適用して本願発明に至る動機付けがあるかどうかを判断するとともに、②適用を阻害する要因の有無、予測できない顕著な効果の有無等を併せ考慮して判断することとなる。特許無効審判の審決に対する取消訴訟においては、上記①については、特許の無効を主張する者(特許拒絶査定不服審判の審決に対する取消訴訟及び特許異議の申立てに係る取消決定に対する取消訴訟においては、特許庁長官)が、上記②については、特許権者(特許拒絶査定不服審判の審決に対する取消訴訟においては、特許出願人)が、それぞれそれらがあることを基礎付ける事実を主張、立証する必要があるものということができる。』

『(5) 本件発明1と甲1発明の相違点の判断
ア 相違点(1-ⅰ)の判断
・・・(略)・・・
(ウ)a 前記(イ)のとおり、甲2の一般式(I)で示される化合物は、甲1の一般式Iで示される化合物と同様、HMG-CoA還元酵素阻害剤を提供しようとするものであり、ピリミジン環を有し、そのピリミジン環の2、4、6位に置換基を有する化合物である点で共通し、甲1発明の化合物は、甲2の一般式(I)で示される化合物に包含される。
甲2には、甲2の一般式(I)で示される化合物のうちの「殊に好ましい化合物」のピリミジン環の2位の置換基R3の選択肢として「-NR4R5」が記載されるとともに、R4及びR5の選択肢として「メチル基」及び「アルキルスルホニル基」が記載されている。
しかし、甲2に記載された「殊に好ましい化合物」におけるR3の選択肢は、極めて多数であり、その数が、少なくとも2000万通り以上あることにつき、原告らは特に争っていないところ、R3として、「-NR4R5」であってR4及びR5を「メチル」及び「アルキルスルホニル」とすることは、2000万通り以上の選択肢のうちの一つになる。
また、甲2には、「殊に好ましい化合物」だけではなく、「殊に極めて好ましい化合物」が記載されているところ、そのR3の選択肢として「-NR4R5」は記載されていない。
さらに、甲2には、甲2の一般式(I)のXとAが甲1発明と同じ構造を有する化合物の実施例として、実施例8(R3はメチル)、実施例15(R3はフェニル)及び実施例23(R3はフェニル)が記載されているところ、R3として「-NR4R5」を選択したものは記載されていない。
そうすると、甲2にアルキルスルホニル基が記載されているとしても、甲2の記載からは、当業者が、甲2の一般式(I)のR3として「-NR4R5」を積極的あるいは優先的に選択すべき事情を見いだすことはできず、「-NR4R5」を選択した上で、更にR4及びR5として「メチル」及び「アルキルスルホニル」を選択すべき事情を見いだすことは困難である。
したがって、甲2から、ピリミジン環の2位の基を「-N(CH3)(SO2R’)」とするという技術的思想を抽出し得ると評価することはできないのであって、甲2には、相違点(1-ⅰ)に係る構成が記載されているとはいえず、甲1発明に甲2発明を組み合わせることにより、本件発明の相違点(1-ⅰ)に係る構成とすることはできない。
・・・(略)・・・
(エ) ・・・(略)・・・以上の甲7及び甲20の記載からすると、HMG-CoA還元酵素阻害剤において、相対的に親水性の高い化合物が、肝選択性を高める可能性があることが示唆されているといえるから、副作用を考慮して、肝臓に対して選択性が高いHMG-CoA還元酵素阻害剤を得るために、HMG-CoA還元酵素阻害活性を示す化合物を、親水性という指標で評価し、親水性の高い(logPが2以下の)化合物を選択するという動機は本件優先日当時の当業者が認識できたものといえる。
(c) しかし、一方で、ピリジン及びピリミジン置換3、5-ジヒドロキシ-6-ヘプテン酸のラクトンのHMG-CoA還元酵素阻害活性について記載された甲16には、中央の芳香族環の6位における嵩高の親油性の置換基が合成HMG-CoA還元酵素阻害剤の生物活性に大きく寄与することが記載されるとともに、・・・(略)・・・、中央の芳香環(ピリミジン環)の2、4及び6位(R1、R2及びR3)における置換が強力な生物活性をもたらすこと、2位(R1)にイソプロピル基を導入すれば生物活性は最大になること、4位(R2)の4-クロロフェニル及び4-フルオロフェニル置換の類縁体が同等に強力な阻害剤となること、6位(R3)の置換は最適な生物活性のために最も重要で、嵩高のアルキル基の導入又はフェニル部分の導入によって力価の顕著な上昇を得ることができることが記載されている。
ここで、・・・(略)・・・、甲16の記載に接した当業者であれば、甲16構造式におけるR3に相当する、甲1発明の化合物のピリミジン環の2位の「ジメチルアミノ基」の部分に、嵩高の親油性の置換基、特に、嵩高のアルキル基又はフェニル部分を導入することにより力価の顕著な上昇を期待できると認識するといえる。
そうすると、たとえ、本件優先日当時、副作用を考慮して、HMG-CoA還元酵素阻害活性を示す化合物であって、より親水性の高い化合物を選択するという動機があったとしても、その一方で、甲1発明の化合物においては、そのピリミジン環の2位の「ジメチルアミノ基」部分に、嵩高の親油性の置換基、特に、嵩高のアルキル基あるいはフェニル部分を導入することにより力価の顕著な上昇を期待できると当業者は認識したといえるから、甲1発明の化合物のピリミジン環の2位の「ジメチルアミノ基」を、嵩高の親油性の置換基とはせずに、より親水性の高い置換基とすることの動機付けが、本件優先日当時の当業者にあったとはいえない。
(d) また、甲9及び甲60には、メチル基よりも親水性の高い基として、メチルスルホニル基(-SO2CH3)以外の基も相当数記載されており、たとえ、甲1発明の化合物のピリミジン環の2位のジメチルアミノ基を、より親水性の高い置換基とすることの動機が本件優先日当時の当業者にあったとしても、本件優先日当時の技術常識からでは、その一方のメチル基を、メチルスルホニル基という特定の基とすることの動機までもが本件優先日当時の当業者にあったとはいえない。
・・・(略)・・・
(e) したがって、仮に、甲2に相違点(1-ⅰ)に係る構成が記載されていると評価できたとしても、甲1発明の化合物のピリミジン環の2位のジメチルアミノ基を「-N(CH3)(SO2R’)」に置き換えることの動機付けがあったとはいえないのであって、甲1発明において相違点(1-ⅰ)に係る構成を採用することの動機付けがあったとはいえない。』

『4 取消事由2について
・・・(略)・・・
(2) 本件発明の課題
・・・(略)・・・
イ ・・・(略)・・・、本件明細書の発明の詳細な説明には、これら既に開発されているHMG-CoA還元酵素阻害剤の問題点等が記載されているわけではなく、前記2(1)ウのとおり、【0003】に「コレステロールの生成を抑制することがアテローム性動脈硬化の予防および治療に重要であり、このことを考慮して有用な医薬品の開発が望まれている。」と記載されているにとどまる。
証拠(甲36)及び弁論の全趣旨によると、医薬品の分野においては、新たな有効成分の薬理活性が既に上市された有効成分と同程度のものであっても、その新たな有効成分は、代替的な解決手段を提供するという点で技術的な価値を有するものと認められる。
以上を考え合わせると、本件発明の課題が、上記の既に開発されているHMGCoA還元酵素阻害剤を超えるHMG-CoA還元酵素阻害剤を提供することにあるとまではいうことはできない。
ウ したがって、本件発明の課題は、コレステロールの生成を抑制する医薬品となり得る程度に優れたHMG-CoA還元酵素阻害活性を有する化合物、及びその化合物を有効成分として含むHMG-CoA還元酵素阻害剤を提供することであるというべきである。
(3)解決手段
ア ・・・(略)・・・
そうすると、本件明細書の発明の詳細な説明には、本件発明1の化合物が、コレステロールの生成を抑制する医薬品となり得る程度に優れたHMG-CoA還元酵素阻害活性を有すること、すなわち、本件発明の課題を解決できることを当業者が理解することができる程度に記載されているということができる。
(4)原告らの主張について
・・・(略)・・・、サポート要件の判断は、特許請求の範囲の記載及び発明の詳細な説明の記載につき、出願時の技術常識に基づき行われるべきものであり、その判断が、特許権者の審判段階の主張により左右されるとは解されない。』

[コメント]
本判決では、「何人も請求することができる」と規定されていた平成26年改正前特許法下での無効審判不成立審決に対する訴えの利益につき、審決取消しの訴えの利益は、特許権消滅後であっても、特許権の存続期間中にされた行為について、何人に対しても、損害賠償されたり等の可能性が全くなくなったと認められる特段の事情がない限り、失われることはないとする規範が提示されている。
また、本判決では、特定の具体的化合物群を当業者が引用文献の組み合わせにより想到し得たのかにつき、技術面から具体的かつ詳細に検討して、その進歩性が肯定されている。より具体的には、膨大な数の選択肢を有する一般式で表される化合物が刊行物に記載されている場合の引用発明の認定、および、引用発明の組み合わせによる進歩性の判断の各規範が提示されるとともに、当該規範に基づき、本事件の副引用発明の認定において、膨大な選択肢や実施例での開示状況等もふまえ、当該相違点にかかる技術的思想を抽出し得ると評価することはできないと判示されている。
化学分野では文献等に化合物が広く一般式として記載される場合が多く、審査段階において、化学構造的に有意な相違があっても、その技術的意義や選択発明性を十分ふまえることなく、それら一般式に基づく引用発明から容易想到であると安易に認定されることがままみられる。大合議として審理された本判決により、今後そのようなケースが減っていくことが期待される。
以上
(担当弁理士:東田 進弘)