審決取消請求事件 » 平成28年(行ケ)第10225号「ポリアリーレンスルフィド樹脂組成物」事件

名称:「ポリアリーレンスルフィド樹脂組成物」事件
特許取消決定取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成28年(行ケ)第10225号 判決日:平成29年11月29日
判決:決定取消
特許法29条の2
キーワード:発明の同一性
判決文:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/261/087261_hanrei.pdf

[概要]
ヨウ素含有量が少ないPAS樹脂を製造することができること自体は、優先日において周知の技術的事項であったといえるものの、各文献からは1,200ppm以下の低ヨウ素量のPAS樹脂を製造するために必要な条件は必ずしも明らかでないから、各文献に記載された事項から、直ちに先願明細書にヨウ素含有量が1,200ppm以下であるPAS樹脂組成物が記載されているとの結論を導くことはできないとして、先願明細書発明Bに記載されているに等しい事項であるとの決定の判断は誤りであるとされた事例。
実験報告書は、必ずしも甲5の実施例5を忠実に追試したものであるとはいえず、かかる実験報告書に基づいて、本件発明4で特定するPAS樹脂組成物のヨウ素含有量が、先願明細書発明BにおけるPAS樹脂のヨウ素原子含有量と重複一致する蓋然性が高いなどと認めることはできないとされた事例。

[事件の経緯]
原告は、特許第5708898号の特許権者である。
訴外エスケー ケミカルズ カンパニー リミテッド(以下「異議申立人」という。)が、本件特許の請求項1ないし7に対して特許異議の申立てをしたところ、特許庁が、請求項4ないし7に係る特許を取り消す決定(請求項1ないし3に係る特許は維持)をしたため、原告は、この決定のうち、請求項4ないし7に係る特許を取り消すとの部分の取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を認容し、決定を取り消した。

[本件発明]
【請求項4(訂正後)】
末端に下記一般式(1)
【化8】

(式中、Xは水素原子またはアルカリ金属原子)で表される基を有するポリアリーレンスルフィド樹脂と、該ポリアリーレンスルフィド樹脂に対し0.01~1,200ppmの範囲となる割合でヨウ素原子を含有することを特徴とするポリアリーレンスルフィド樹脂組成物。

[決定]
決定では、本件発明4と先願明細書発明Bとの相違点が、「ポリアリーレンスルフィド樹脂に対し0.01~1,200ppmの範囲となる割合でヨウ素原子を含有する」との点(相違点1)であると認定し、当該相違点1は実質的な相違点ではないとして、本件発明4と先願明細書発明Bとが特許法29条の2でいうところの「同一」であると判断した。

[取消事由]
1.本件発明4に係る同一性判断の誤り
2.本件発明5に係る同一性判断の誤り
3.本件発明6及び7に係る同一性判断の誤り
※以下、取消事由1についてのみ記載する。

[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋)
『2 取消事由1(本件発明4に係る同一性判断の誤り)について
・・・(略)・・・
イ  低ヨウ素含有量のPAS樹脂について
本件特許の優先日(平成25年3月25日)における、ジヨード化合物と固体硫黄と、更に「重合停止剤」とを含む混合物を溶融重合させるPAS樹脂の製造技術において、PAS樹脂に含まれるヨウ素量については、以下の各文献の記述に示されるとおり、本件発明において特定されるような、1,200ppm以下のヨウ素含有量のPAS樹脂が得られていた。具体的には、乙1、乙2には、重合停止剤を使用することによって、末端に残留するヨウ素量が少ない(乙1では183~570ppm、乙2では610ppm)PASが得られることが、甲1にはヨウ素量610ppm又は670ppmのPASが得られることが、それぞれ記載されている。
・・・(略)・・・
ウ  重合禁止剤の添加時期と生成する高分子(樹脂)について
一般に、高分子(ポリマー、樹脂)の諸物性は、重合度(1本の高分子鎖に含まれる構造単位の繰り返しの数、鎖長、平均分子量)に依存するといえ(甲14など)、所期の特性(重合度)の高分子を得るために、当業者によって、重合温度や圧力との反応条件とともに、重合禁止剤の選択、添加のタイミング等が好適化されるものと考えられる。
そして、重合禁止剤の添加時期が相違することにより、重合禁止剤の添加に由来する、ヨウ素離脱反応の反応速度も異なる。すなわち、本件発明のように低分子化合物の状態で重合禁止剤が添加された場合には、反応に必要な分子の衝突回数が多いことから、ヨウ素離脱反応速度が速くなり、この反応速度の違いは、ヨウ素の離脱の程度を異ならせる要因になると認められる(甲32)。ただし、この場合は、より多くの低分子化合物の末端に重合禁止剤ラジカルが結合した重合度が小さい(鎖長が短い)分子が生成されている可能性がある。
(3) 発明の同一性に関する検討
・・・(略)・・・
そこで、相違点1に係る構成、すなわち、PAS樹脂に対し0.01~1,200ppmの範囲となる割合でヨウ素原子を含有することが実質的な相違点ではなく、先願明細書発明Bに記載されているに等しい事項であるといえるか否か(発明の同一性)について検討する。・・・(略)・・・
ア  先願明細書発明BのPAS樹脂に含まれるヨウ素の量
前記(2)イのとおり、乙1、乙2及び甲1の各記載から、ジヨード化合物と固体硫黄と、更に「重合停止剤」とを含む混合物を溶融重合させることによって製造されるPAS樹脂について、ヨウ素含有量が1,200ppm以下のものが得られること、上記のいずれの例においても重合禁止剤(重合停止剤)が添加されていることが理解でき、このような、ヨウ素含有量が少ないPAS樹脂を製造することができること自体は、優先日において周知の技術的事項であったといえる。
しかしながら、上記各文献からは、このような、1,200ppm以下の低ヨウ素量のPAS樹脂を製造するために必要な条件、すなわち、重合時の温度や圧力、重合時間等は必ずしも明らかでない。また、前記(2)ウの技術常識からは、重合禁止剤の種類や添加の割合のみならず、添加の時期(タイミング)によっても、得られる樹脂の重合度や不純物としてのヨウ素含有量が異なることが予測されるところ、それらとの関係についても一切明らかにされていない。してみると、これらの各文献に記載された事項から、直ちに先願明細書(甲5)にヨウ素含有量が1,200ppm以下であるPAS樹脂組成物が記載されているとの結論を導くことはできないというべきである。』

『イ  実験報告書(甲9実験)について
決定は、甲9の実験報告書によれば、甲5の実施例5と同様に製造したPAS樹脂のヨウ素含有量が850ppmであると認められることから、本件発明4で特定するPAS樹脂組成物のヨウ素含有量は、先願明細書発明BにおけるPAS樹脂のヨウ素原子含有量と重複一致する蓋然性が高いと判断している。
・・・(略)・・・
また、この点は措くとしても、上記実験報告書の「1.実験方法」の欄には、「「5)Chip cutting:反応完了した樹脂をN2加圧して、小型ストランドカッターを使用したpellet形態に製造。」との記載があり、かかる記載が、甲5の実施例5における、「反応が完了した樹脂を、小型ストランドカッター機を用いてペレット形態で製造した。」との記載に対応するものであって、同実施例と同様に、反応が完了した樹脂を小型ストランドカッターによってペレット形態とすることを示すものであることは理解できるが、「N2加圧」処理を行うことの技術的な意味は明らかではないし(すなわち、いかなる状態の樹脂に対して、何のために行うのか、例えば、溶融状態の樹脂に対して加圧処理を行うのか、ストランド〔細い棒状〕に形成するための押し出しをN2による加圧で行うのか、形成されたストランドに対して行うのかなどの点が不明である。)、少なくともカッティングの前に樹脂を「N2加圧」することが当該技術分野における技術常識であるとはいえない。また、高温の樹脂に対しN2加圧を行うことによって、樹脂中のヨウ素が抜ける可能性がないとはいえず(少なくともその可能性が全くないことを示す証拠はない。)、かかる「N2加圧」がヨウ素含有量に対してどのような影響を及ぼすのかも不明である。
この点、被告は、上記ストランド押し出しを窒素加圧下で行うことが記載されている乙9ないし12を引用して、N2加圧が周知の技術的事項である旨反論するが、仮にストランドを形成するための押し出しをN2加圧によって行うことが周知の手段であっても、上記実験報告書における「N2加圧」がこれらの乙号証に記載された工程と同じものを意味するものとは限らないし、結局、かかる「N2加圧」がヨウ素含有量に対してどのような影響を及ぼすのかが不明であることに変わりはない。
以上によれば、実験報告書(甲9)は、必ずしも甲5の実施例5を忠実に追試したものであるとはいえず、かかる実験報告書(甲9実験)に基づいて、甲5の実施例5と同様に製造したPAS樹脂のヨウ素含有量が850ppmであるとか、本件発明4で特定するPAS樹脂組成物のヨウ素含有量は、先願明細書発明BにおけるPAS樹脂のヨウ素原子含有量と重複一致する蓋然性が高いなどと認めることはできないというべきである。』

[コメント]
裁判所は、ヨウ素含有量が少ないPAS樹脂を製造する周知技術を参照したとしても、先願発明からは本件発明の製造方法の条件を導き出せないから、得られる物も必ずしも本件発明の構成を満たすとは限らないとして取消決定を取り消した。この判断は、先願発明の存在を根拠とする拡大先願に基づく取消理由と、上記周知技術を副引例とする進歩性違反に基づく取消理由との相違に起因するものであろう。後者であれば取消決定が維持された可能性も否定できない。特許権者としては特許発明と先願発明の相違点だけでなく、その相違点をもたらすメカニズム(本件では製造方法、特に重合禁止剤の添加のタイミング)を仔細に検討して主張すべきと考える。裁判所が、低ヨウ素含有量のPAS樹脂が周知技術であると認めた上で、それでも本件発明のヨウ素含有量を先願明細書発明との相違点として認めた点は興味深い。
実験報告書については、従前指摘のあるように先行文献に記載の方法に忠実に追試すべきである。何らかの理由でその方法と異なる手順ないし条件を採用するにしても、代替性の正当性を十分に立証すべきであろう。
以上
(担当弁理士:藤井 康輔)