審決取消請求事件 » 平成29年(行ケ)第10006号、第10015号「ランフラットタイヤ」事件

「ランフラットタイヤ」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成29年(行ケ)第10006号(「甲事件」)、第10015号(「乙事件」) 判決日:平成29年8月22日
判決:審決取消(請求項1ないし4)、請求棄却(請求項6ないし13)
特許法36条6項2号
キーワード:明確性要件、技術常識の認定
判決文:http://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/025/087025_hanrei.pdf

[概要]
特許請求の範囲の「急激な降下」、「急激な降下部分の外挿線」及び「ほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線」との各記載は、これらの線の引き方から導かれる交点温度の差が第三者の利益が不当に害されるほどに不明確なものとはいえないとして、明確性違反を理由として特許を無効とした審決が取り消された事例。

[事件の経緯]
甲事件被告・乙事件原告(以下「被告」という。)は、特許第4886810号の特許権者である。
甲事件原告・乙事件被告(以下「原告」という。)が、当該特許の請求項1~15に係る発明についての特許を無効とする無効審判(無効2015-800158号)を請求し、被告が訂正を請求(請求項5、14、15を削除)したところ、特許庁が、当該特許の請求項1ないし4を無効とする審決をし、請求項6ないし13を請求不成立(特許維持)の審決をしたため、原告および被告は、それぞれの取り消しを求めた。
知財高裁は、被告の請求項1ないし4にかかる請求を認容して審決を取り消し、原告の請求項6ないし13にかかる請求を棄却した。

[本件訂正発明]
【請求項1】
ゴム補強層によって補強されたサイドウォール部を有し、
該ゴム補強層が、昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、100℃以上に存在する動的貯蔵弾性率の急激な降下前に存在する動的貯蔵弾性率がほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線Aと急激な降下部分の外挿線Bとの交点の温度が170℃以上であり、天然ゴムを含むゴム組成物を含むランフラットタイヤ。
【請求項2】
ゴムフィラーで補強されたビード部を有し、
該ゴムフィラーに昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、100℃以上に存在する動的貯蔵弾性率の急激な降下前に存在する動的貯蔵弾性率がほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線Aと急激な降下部分の外挿線Bとの交点の温度が170℃以上であるゴム組成物を用いたランフラットタイヤ。

[審決]
本件発明1ないし4は、明確ではなく、その特許請求の範囲の記載は、特許法36条6項2号に規定する要件(明確性要件)を満たさないから、本件発明1ないし4についての本件特許は、無効にすべきである。

[取消事由]
本件発明1ないし4の明確性要件に係る判断の誤り(取消事由1)

[裁判所の判断](筆者にて、下線)
『2 取消事由1(本件発明1ないし4の明確性要件に係る判断の誤り)について
(1) 特許を受けようとする発明が明確であるか否かは、特許請求の範囲の記載だけではなく、願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し、また、当業者の出願当時における技術常識を基礎として、特許請求の範囲の記載が、第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。
原告は、本件発明1及び2に係る特許請求の範囲の記載のうち、「急激な降下」、「急激な降下部分の外挿線」及び「ほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線」との各記載が不明確であると主張するから、以下検討する。
(2) 「急激な降下」、「急激な降下部分の外挿線」との記載
ア 請求項1及び2の記載のうち「急激な降下」部分とは、動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、左から右に向かって降下の傾きの最も大きい部分を意味することは明らかである(【図2】)。また、傾きの最も大きい部分の傾きの程度は一義的に定まるから、「急激な降下部分の外挿線」の引き方も明確に定まるものである。
イ これに対し、原告は、動的貯蔵弾性率の傾きが具体的にどのような値以上になったときに「急激な降下」と判断すればよいか分からない旨主張する。しかし、「急激な降下」とは、相対的に定まるものであって、傾きの程度の絶対値をもって特定されるものではないから、同主張は失当である。
(3) 「ほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線」との記載
ア ASTM規格(乙31)は、世界最大規模の標準化団体である米国試験材料協会が策定・発行する規格であるところ、ASTM規格においては、温度上昇に伴って変化する物性値のグラフから、ポリマーのガラス転移温度を算出するに当たり、ほぼ直線的に変化する部分を特段定義しないまま、同部分の外挿線を引いている。また、JIS規格(乙13)は、温度上昇に伴って変化する物性値のグラフから、プラスチックのガラス転移温度を算出するに当たり、「狭い温度領域では直線とみなせる場合もある」「ベースライン」を延長した直線を、外挿線としている。
そうすると、ポリマーやプラスチックのガラス転移温度の算出に当たり、温度上昇に伴って変化する物性値のグラフから、特定の温度範囲における傾きの変化の条件を規定せずに、ほぼ直線的な変化を示す部分を把握することは、技術常識であったというべきである。
そして、ポリマー、プラスチック及びゴムは、いずれも高分子に関連するものであるから、ゴム組成物の耐熱性に関する技術分野における当業者は、その主成分である高分子に関する上記技術常識を当然有している。
したがって、ゴム組成物の耐熱性に関する技術分野における当業者は、上記技術常識をもとに、昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において、特定の温度範囲における傾きの変化の条件が規定されていなくても、「ほぼ直線的な変化を示す部分」を把握した上で、同部分の外挿線を引くことができる。
イ これに対し、原告は、ASTM規格におけるガラス転移温度の測定方法における「ベースライン」と、本件発明1における「ほぼ直線的な変化を示す部分」とが関連することを、当業者は理解できないなどと主張する。
しかし、ゴム組成物の耐熱性に関する技術分野における当業者は、その主成分である高分子についての技術常識を当然有しているというべきであるから、ASTM規格やJIS規格における技術常識をもとに、「ほぼ直線的な変化を示す部分」という請求項の記載の意味内容を理解できるものである。
ウ また、原告は、本件発明1及び2においては2℃のずれが問題となっているから、ASTM規格は参考にできるものではなく、本件発明1及び2に関連するゴム組成物の動的貯蔵弾性率の温度による変化を計測したグラフにおいて、外挿線A及び外挿線Bは、その引き方によっては交点温度に5.8℃の差や3℃の差が生じる旨主張する。
しかし、後記5(2)のとおり、本件特許の原出願の優先日当時、ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物の温度範囲は、せいぜい150℃以下の温度範囲で着目されていたにすぎなかったところ、本件発明6は、サイド部の補強用ゴム組成物の180℃から200℃までの動的貯蔵弾性率の変動に着目したものである。本件発明7も、ビード部の補強用ゴム組成物の同様の数値範囲に着目したものである。そして、本件発明1及び2は、かかる技術的思想を、外挿線Aと外挿線Bの交点の温度が170℃以上であるゴム組成物として特定したものである。そして、本件発明1及び2と同種であるゴム組成物の動的貯蔵弾性率の温度による変化を計測したグラフにおける外挿線A及び外挿線Bの交点温度は、その引き方によっても1℃の差が生ずるにとどまる(甲6の実施例6のゴム組成物に関する甲217、図2、3。なお、図4の接線3は、「ほぼ直線的な変化を示す部分」の外挿線ということはできない。また、引用例1の実施例4及び15のゴム組成物に関する甲1の1の外挿線Aも、動的貯蔵弾性率の最大値温度から10℃ないし30℃低い温度における動的貯蔵弾性率の部分の接線であり、「ほぼ直線的な変化を示す部分」の外挿線Aではない。)。
このように、外挿線Aと外挿線Bの交点温度として特定された170℃という温度は、補強用ゴム組成物の180℃から200℃までの動的貯蔵弾性率の変動に着目したことから導かれたものであって、かかる交点温度は、その引き方によっても1℃の差が生ずるにとどまる。そうすると、外挿線Aと外挿線Bの交点温度によって、ゴム組成物の構成を特定するという特許請求の範囲の記載は、第三者の利益が不当に害されるほどに不明確なものとはいえない。
(4) 小括
したがって、本件発明1及び2に係る特許請求の範囲の記載のうち、「急激な降下」、「急激な降下部分の外挿線」及び「ほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線」との各記載は明確であって、本件特許の特許請求の範囲請求項1及び2の記載が明確性要件に違反するということはできない。請求項3及び4の各記載も同様であるから、明確性要件に違反するということはできない。
よって、取消事由1は理由がある。』

[コメント]
本判決で当業者の出願当時における技術常識として認定された、JIS規格(乙13)は、審決では、あくまでも、「プラスチックの転移温度測定方法」に係るものであって、本件訂正発明1のようなゴム組成物とは対象物が相違するし、JIS規格(乙13)に係る方法とゴム組成物の動的貯蔵弾性率とが関連ないし対応するものであることは、本件訂正明細書には一切記載も開示もされておらず、本件特許に係る優先日当時の技術常識であるものともいえないため、「ほぼ直線的な変化を示す部分」との記載が不明確であると判断されている。
一方、本判決では、技術常識を示す証拠として、新たに、ASTM規格(乙31)が提出されている点が審決とは異なるものの、ASTM規格やJIS規格における技術常識をもとに、「ほぼ直線的な変化を示す部分」という請求項の記載の意味内容を理解できると結論付けられている。
このように、明確性要件において、請求項にかかる文言が明細書等の記載から一義的に導き出せない場合、当該文言が本願出願時の技術常識から一義的に導き出せる事項であるか否かをめぐって争いになることが間々ある。よって、請求項にかかる文言が技術常識かが曖昧である場合、当該文言の意義(解釈)について、予め明細書中で適切に説明しておくことが好ましい。
なお、本判決における『特許を受けようとする発明が明確であるか否かは、特許請求の範囲の記載だけではなく、願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し、また、当業者の出願当時における技術常識を基礎として、特許請求の範囲の記載が、第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。』との規範は、「新聞顧客の管理及びサービスシステム並びに電子商取引システム」事件(平成20年(行ケ)第10107号)の説示を踏襲するものといえる。 以上            (担当弁理士:片岡 慎吾)