審決取消請求事件 » 平成28年(行ケ)10146号「低いコアフコシル化を有する抗体等を調整するための方法並びに組成物」事件

名称:「低いコアフコシル化を有する抗体等を調整するための方法並びに組成物」事件
審決取消請求事件
知的財産高等裁判所:平成28年(行ケ)10146号 判決日:平成29年7月12日
判決:請求棄却
条文:特許法36条4項1号、36条6項1号
キーワード:実施可能要件、サポート要件
判決文:http://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/977/086977_hanrei.pdf

[事案の概要]
阻害活性を有さない実験データの記載があっても、本件明細書の記載および技術常識に照らし、不自然であると認識し、当該データについて、実施例に記載された測定方法によって当該阻害活性を確認し、当該データが誤記であることを確認することに格別の技術的困難があるとは認められないとして、実施可能要件等を認めた審決が維持された事例である。

[事件の経緯]
原告は、特許第5624535号の特許権者である。
被告が、当該特許の請求項1~24に係る発明についての特許を無効とする無効審判(無効2015-800102号)を請求したところ、特許庁が、当該審判の請求は成り立たないとする審決をしたため、原告は、その取り消しを求めた。
知財高裁は、原告の請求を棄却した。

[本件発明]
【請求項1】
低いコアフコシル化を有する修飾抗体又は抗体誘導体を製造する方法であって、
糖鎖の還元末端のN-アセチルグルコサミンを介してFcドメインに結合した少なくとも一つの複合N-グリコシド結合糖鎖を有するFcドメインを有する抗体又は抗体誘導体を発現する宿主細胞を有効量のフコース類似体を含む培地中で適切な成長条件下で培養する段階、及び
前記抗体又は抗体誘導体を細胞から分離する段階を含み、
ここで、前記フコース類似体が以下の式(III)又は(IV)の一つ
【化1】

或いはその生物学的に許容される塩又は溶媒和物からなる群から選択され、・・・(略)・・・
前記抗体又は抗体誘導体が前記フコース類似体の不存在下で培養した宿主細胞からの抗体又は抗体誘導体と比較して低いコアフコシル化を有する、上記方法。

[主な取消事由]
1.実施可能要件に関する判断の誤り(取消事由3)
2.サポート要件に関する判断の誤り(取消事由4)

[裁判所の判断](筆者にて適宜抜粋、下線)
4 取消事由3(実施可能要件に関する判断の誤り)について
『(1)明細書の発明の詳細な説明の記載は、当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであることを要する(特許法36条4項1号)ところ、本件において、当業者が、本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願当時の技術常識に基づいて、本件発明の実施をすることができるのであれば、特許法36条4項1号に規定する要件を満たすということができる。
本件明細書の発明の詳細な説明には、複合N-グリコシド結合糖鎖を有するFcドメインを有する抗体又は抗体誘導体、それらを発現する宿主細胞、培地に添加するフコース類似体、培養方法及び抗体又は抗体誘導体の精製について、一般的な記載があり(段落【0054】~【0113】、【0114】~【0131】)、実施例1~36として種々の置換基を有するフコース類似体の合成、抗体の産生、抗体のコアフコシル化やそれに関連する生物学的活性の分析に関する実験例が具体的データとともに記載されている。そうすると、原告が主張するように、フコース類似体の化学構造の違いによって生物学的活性が異なるものであるとしても、本件明細書の発明の詳細な説明において、相当数のフコース類似体についてコアフコシル化を阻害することが裏付けられており、請求項1に記載された他のフコース類似体についても、これを否定すべき理由は見当たらないのであるから、本件発明の全体にわたって実施をすることができるものと認めるのが相当である。
したがって、当業者が、本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願当時の技術常識に基づいて、本件発明の実施をすることができるものであり、本件明細書の発明の詳細な説明の記載は、当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであると認められる。』

『(2)原告の主張について
ア 原告は、本件明細書の表1によると、50μMでの阻害活性が「>80%」と記載されたアルキニルフコースジ(トリメチルアセテート)に、もう1つピバレートエステル基が付加しただけで、阻害活性が「約0%」(50μMアルキニルフコース1,2,-トリ(トリメチルアセテート))となるように、化学構造がわずかでも変化すると活性に大きな相違がもたらされるというのが技術常識であるから、本件発明1のフコース類似体の全てが低いコアフコシル化抗体の製造に使用することができるわけではないと主張する。
・・・(略)・・・
当業者であれば、上記フコース類似体の50μMの濃度における阻害活性データを比較した際に、アルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)の阻害活性が、ピバレートエステル基を1つ多く有するアルキニルフコーステトラキス(トリメチルアセテート)よりも低下していることは、本件明細書の記載及び技術常識に照らし、不自然であると認識し、その阻害活性データについて、発明の詳細な説明の実施例(段落【0217】等)に記載されたコアフコシル化阻害活性の測定方法によって当該フコース類似体の阻害活性を確認し、表1におけるこのフコース類似体の阻害活性データが誤記であることを確認することに格別の技術的困難があるとは認められない。表1及び2に列挙された各種フコース類似体のコアフコシル化の阻害%のうちで唯一50μMにおいても1mMにおいても効果がないと解される表1のアルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)の上記データが誤記であることは、共同発明者の1名により本件明細書に記載された実験の元データ(添付資料A。以下「本件データ」という。)を分析した結果報告(甲16。以下「本件分析報告」という。)によれば、アルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)の阻害が>80%程度であると認められることからも裏付けられる。
したがって、当業者であれば、アルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)の阻害活性に関する本件データを参照するまでもなく、発明の詳細な説明の記載から、表1の上記フコース類似体の阻害活性データが誤記であることを推測することができ、そのことを発明の詳細な説明の実施例の記載に基づいて容易に確認することができると認められるし、また、本件分析報告によれば、アルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)は、実際には非常に高いコアフコシル化阻害活性(>80%)を有することが確認できるのであるから、フコース類似体として、アルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)を発明の詳細な説明に記載されたとおりに用いることにより、本件発明1について実施をすることができるものと認められる。
以上によれば、表1のアルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)に関する「約0%」及び「ND」の記載のみをもって、実施可能要件を欠くということはできず、当業者は、本件明細書の発明の詳細な説明の全体的な開示に基づき、本件発明1について実施をすることができると認められるから、原告の上記主張は採用することができない。』

『また、原告は、審決が、アルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)の阻害活性のデータが「不自然」であると認定したのは、被告がその後に提出した生データを考慮した上での、後付けの判断によるものといわざるを得ず、この点に関する審決の判断は、本件優先日に当業者が知り得なかった生データに基づくものであるから、特許法36条4項1号の規定に反する旨主張する。
しかしながら、当業者であれば、アルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)の阻害活性に関する本件データを参照するまでもなく、発明の詳細な説明の記載から、表1の上記フコース類似体の阻害活性データが誤記であることを推測でき、それを発明の詳細な説明の実施例の記載に基づいて容易に確認することができると認められるのは前記認定のとおりである。
このように、本件は、本件明細書に、当業者が、技術常識に照らし、阻害活性に関するデータの一部分が不自然であると推測し確認することができる記載があるといえる場合であるから、本件明細書の発明の詳細な説明(【0217】の表1)に記載された阻害活性のデータ(50μMにおける阻害)について、出願後に補充した本件データを参酌することも許されるものと解される。被告は、本件明細書の発明の詳細な説明に開示された多くの実験結果の1つに誤記があったことから、本件明細書に記載された内容の範囲内での結果を示すような事後的な本件分析報告を提出して(甲16)、上記誤記について釈明しているにすぎない(例えば、特許出願前に実施することができた実験データを、事後的に追完するような場合とは異なる。)。
したがって、出願後に補充した本件データを参酌した審決の判断に誤りはなく、原告の上記主張は採用することができない。』

5 取消事由4(サポート要件に関する判断の誤り)について
『原告は、本件発明のアルキニルフコース1,2,3-トリ(トリメチルアセテート)のコアフコシル化阻害活性については、約0%であることが本件明細書の発明の詳細な説明に記載されているのであるから、本件発明が、発明の課題が解決できることを当業者が認識できるように記載された範囲を超えていることは明らかであり、また、当業者が当該記載は誤記であり、上記化合物は当然に当該課題を解決し得ると判断する合理的理由は見出せないと主張する。
しかしながら、前記4のとおり、本件明細書の発明の詳細な説明に基づいて、本件発明について当業者が実施をすることができる(所期の複合N-グリコシド結合糖鎖の低いコアフコシル化を有する抗体を産生する抗体及び抗体誘導体を調製することができる)ものと認められるから、発明の詳細な説明が、出願時の当業者の技術常識を参酌することで、当業者が本件発明の課題である、フコース類似体の存在下で、抗体又は抗体誘導体を発現する宿主細胞を培養することにより、複合N-グリコシド結合糖鎖の低いコアフコシル化を有する抗体を産生する抗体及び抗体誘導体を調製する方法並びに組成物を提供するとの課題を解決できると認識できる程度に記載されているものと認められる。
また、本件明細書の記載全体から見て不自然な実験データの記載があり、それが誤記であったとしても、前記4のとおり、当業者が、容易に誤記である可能性を認識することができ、正しい結果を容易に確認することができるのであるから、上記誤記の存在のみをもって、本件明細書の発明の詳細な説明が発明の課題を解決できると認識できる程度に記載されていないとすることは適切ではないというべきである。』

[コメント]
本事件では、実施例において、構成上は本件特許発明に含まれうるのに作用効果にあたる「阻害活性」を奏していない(と理解される)実験データも記載されていたため、当該記載に基づき実施可能要件違反およびサポート要件違反等が争われていた。
本判決では、作用効果を奏しない(と理解される)データの記載があったとしても、①本件明細書の記載や技術常識に照らせば当該データが不自然であると認識し、かつ、②当該データについて、実施例に記載された測定方法によって当該阻害活性を確認し、当該データが誤記であることを確認することに格別の技術的困難があるとは認められない、として、実施可能要件およびサポート要件の具備が認められている。
本来、実験例や実験データについても出願時点までに齟齬やミスのない(極力)完全なものであるか十分にチェックしておくべきではあるが、実際には先願主義やビジネス戦略上の緊急出願等の諸事情から作成に十分な時間がとれない場合もあり、今回のように一部に不自然なデータがあったことだけで当該発明自体に瑕疵があるとするべきではないケースも少なくなく、本判決は妥当な結論として支持し得る。
また、本判決では「詳細な説明において、相当数のフコース類似体についてコアフコシル化を阻害することが裏付けられており、請求項1に記載された他のフコース類似体についても、これを否定すべき理由は見当たらない」(下線は筆者追記)と判示されているが、審決と対比すると審決の説示から「相当数の」という文言が追加されている。また、実際、本件特許明細書では、阻害活性の実験データだけでも、約40種の化合物の実験データが記載されていた。本事件では、不自然とされた当該データ以外にも、種々、多数の実験データを記載していたことも非常に有利に働いたといえる。
以上
(担当弁理士:東田 進弘)